サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)で、スタッフと談笑していた時、スタッフから「知識を持つ者の苦悩って、あるよね」と言われた。オレが近年感じていた「知識をてらう事への疑問」も、知識を持つ者の苦悩に繋がっているのかも知れん。また、オタク川柳の「聞いてない 誰もそこまで 聞いてない」を知って以来、それがオレにこたえたのもそうだ。と言うわけで今回は、オレなりに知識を持つ者の苦悩について考えてみる。
知識はあって困るものではないと思っているが、大塩平八郎じゃないけど、それを活かせないと意味がないとも。なので「知識をてらう」だけでは、どうにもならない。そうしたところで「何それ、知らない」と一蹴されたら……。あと、知識をてらうと話がくどくなるんですよ。それで何度も苦労したし。と、書いてて放置していたが、オレがこのところ自分の知識に忸怩たるものを感じがちなのは、サブカルBCで人と接する機会が激増した事が大きいかも。前述の「聞いてない 誰もそこまで 聞いてない」と言う川柳を痛感する事しきりだし、何を学んでいたらよかったんだとさえ。
「何を言っているんです、そう言うところから反知性主義がはびこるんですよ!」
誰だ。まあ、上の台詞のとおりかも知れん。自分の知識を共有してくれない相手が多い人生が続いたからと言って、自分の知識全ても、それが涵養した知恵も、捨てられるもんじゃないからな。それを活かす場さえあれば……、サブカルBCは結構そう言う場だけども。知識を持つ者の苦悩に話を戻せば、単に「何それ、知らない」と一蹴されるだけじゃなく、最近の小賢しいバカの言う「三角関数なんて、何の役に立つんだ」みたいな考えに酷い目に遭わされるとかもある。そこが反知性主義の蔓延なんだけど、どう対抗すればいいかは分からん。こう言う時に頓智が利かんで、すまんね。
とか書いていたら、気持ちは落ち着いた。知識を持つ者の苦悩について、結論と言うかまとめは出来んかったけど。