こないだ、こんなツイートをした。
オレはあまりに、小さな幸せを拒み過ぎていた。代償に、とても大きな不幸を背負わねばならない気がして。『世にも奇妙な物語』的な話の悪影響かも知れんが、それじゃ人生辛すぎる。もう少し幸せを求めよう。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年1月8日
むかしから不幸続きだったせいか「自分は幸せになれない」と言う盲信があったのは否定出来ない。上記ツイートに書いたように『世にも奇妙な物語』的な話に毒されたのもあるけど、詳述はしない。言えば辛いだけだ。カマヤン(id:kamayan)さんも「幸せを拒む心理」にツイッターだかで言及していた気がするが、検索する気になれない。オレの「幸せを拒む心理」も根が深く、下記記事で言及した「コメダ珈琲で絵を描いていたら、隣の外国人男性に褒められた」件も、事が終わって「実はアプリの文面読み間違えていて、非難されていたのかも知れない」と言う被害妄想が出たくらいですからね。
a-katu.hatenablog.com
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あまりに非現実的に認知を歪ませるくらい「幸せを拒む心理」に蝕まれていたが、最近考えが変わった。小さな幸せウェルカムと。理由は前述のコメダ珈琲での出来事もあるし、大きな不幸を恐れて何も出来ないようでは、余生がつまらんと思ったのもある。だいたい「小さな幸せの代償は、大きな不幸」と言うのは、あまりに自分の人生や世の中を敵視し過ぎだし。そう思うと、だいぶ肩の荷が下りた。やれやれ。
それにしても、オレはどこまで自分の絵を憎んでいたんだ。近年だいぶ様子は違うが、さんざんオレの好きな絵柄を攻撃されたり絵を描く事自体を責められたりして、ずいぶん卑屈になっていたからなあ。ここで、好きな絵柄を攻撃したり絵を描く事自体を責めて来た連中を責めても仕方ないから、どこの誰とは言わないけど。しかしながら、そんな連中への反発の影に自己嫌悪も同時に出たのは記しておく。最近はそれもやっと克服して来たけど、アンビバレントを感じながら描いていた時期はとても辛かった。あああ、ひと夏かふた夏か前だった~。……言ってる場合か。冗談を交えながら書かないと、とても辛い話ではあるが。
と言うわけで、オレはもっと幸せを追求する。題名と食い違った結論だが、あれは反語と言うやつだハハハ。