ブログ記事にした時点で、ここだけの話もへったくれもないが……。さておき、こんなツイートをした。
スーパーマンの息子がバイセクシャルだとされて文句言われているが、オレもゲイのキャラをマンガに出そうとして「自分の描き方じゃギクシャクするし、このキャラはゲイじゃなくてもいいやな」とやめた事が。そうならないなら、いいんじゃないの。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年10月13日
どのマンガの、どのキャラがゲイになる予定だったかは言わんぞ。オレがゲイのキャラを描こうとして上手くいかんかったのは、たとえ自分のキャラとは言え、他人様のセクシュアリティをいじるのが辛いのかも知れん。痴女と言うか、性的に放埓な女性はなんぼでも描く癖に、そう言っても説得力はなかろうが……。してみると、単にゲイを描きたくないだけな気もして来た。その理由も心当たりがあるが、言えば世間とのケンカじゃ済まん気がするので言えない。そうでなくても、その気(け)のない男が男同士の恋愛や性愛を描いたらいかんと言う法はない*1が、面白半分で描く事でもない気もするし。
スーパーマンの息子がバイだろうとなかろうと、オレに余慶があるでなし。だからそこは「そんなことはしらん」でしかないのだが、つい思い出した事を書いてしまった。創作の話の続きをしよう、と言うか「描いてギクシャクする設定なら、なんであれ描かん方がましだ」とだけ言えばよかった気がする。マー、キャラは描いているうちに一人歩きするもんだが、そこまで同じキャラを描いたわけではなかった。最近は機会があって、結構一人歩きしてるキャラいるけどな。それはいいとして、いつまで創作が出来るんでしょうね? なるたけ長く、創作したいものですよね……。なんでそんな事を言うのかって? オレ、長生き出来そうにないからさ。
*1:少なくとも、この記事書いてる現在の日本にはだが。