走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「オレは描けない」と萎縮すべきではなかった!

 サブカルビジネスセンター(以下、SBC)で絵やデザインを学んでいくうちに、世間の絵やデザインがどう言う意匠なのかを意識して見る事が増えた。そのうち、題名に書いた後悔が……。オレもまた、世間の「描かない人」同様に「自分は描けない」と尻込みしていたと思うと、慚愧の念にたえない。もうちょっと詳しく言うと、絵やデザインを見ても「オレはここまで描けない」と思って思考停止したばっかりに、学ぶべきものを見逃していたと言うか……。マー、かつて描く事に理解を示す者が周囲に少なく、いろいろ萎縮するような事も言われていたのもあるけど、いくらなんでも。だから後悔してるんだよ! そりゃ、うつ状態で絵を描く気力がなかった時期もあったけどさあ……。

 と言うわけで、うつ状態が強かった時期の絵をpixivで見返したが、見れば絵そのものをあまり描いてなかったのよね。その頃は過去に描いた絵やスマホで撮影したラフをアップしたりも多かったし、オレだけじゃなくパソコンの調子も悪かった。それでも時間が経つうちに、描こうとする気が強くなってたけど。そこでSBCに入って転機が訪れた。自分の伸びしろがまだ*1あったのが嬉しくて、中古のパソコンを入手したりして少しずつ自宅でも絵が描けるように。描くの描かんのと言えば、オレは何度もこのブログで「描けない、描けない」と嘆いていた。それはツイッターに耽った*2り、あちこちで萎縮するような事を言われたのがじわじわと呪縛となってたりもある。それらもまた、うつ状態の影響と言えるけれど……。精神の病からうつ状態になったのは致し方ないが、それ以前から自分を低く見積もりすぎていたため、上手くいかん事もあったんでしょうなあ……。やりきれんのー。逆に言えば、それでも絵を描いていたからSBCにたどり着いたとも。してみると、題名に書いた後悔に囚われる事もあるまい。と言うか、親父が生前絵を描く事に「見切りを付けろ、見切りを付けろ」とうるさかったのが一番よくない。他にも私生活でいろいろあって、描く事を続けられる自信がなかったのはあったけど、その中大きな原因は親父の呪詛であろう。おまけに、一度勤め先で殺されかかって「働く事」にも自信を失くしている時に「趣味なんて、一人前に働ける者のやる事じゃ!」とまで言われては……。返す返すも悲しいし、書いててだんだん腹が立って来たわ。あの頃、オレの才能*3が活かせる場があれば! 親父の鼻面に絵かマンガで稼いだ金を叩きつけて、ぐうの音も出なくさせていれば! と、書いたものの、うつ病*4みたいな症状も既にあった頃なんで、創作が上手くいかんかったのも無理はないとも。今になって、やっと絵やマンガに力が入れられるようになったのかも知れん。それに、親父の呪詛だけではなく、他にも腹立たしい事はあるんだが、それまで詳述したらオレの精神がもたんので割愛。SBCで出来る限りの事をやるしかないな、今は。

*1:いや、充分に。

*2:確かに、ツイッターを機にSBCに飛び込めたんだけど、でもね……。

*3:と言ってしまおう!

*4:あるいは何らかの精神病。