走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

絵を描いていても、気が滅入る

 なんか気晴らしになる事をしようと思い、絵を描いていたが……。ダメだった。急に悲しくなって、涙が出てなあ。こんな状態では、宇宙怪物ナニやっても気晴らしになるものか。と言うか、またまたまたまた中学時代の辛い思い出がよみがえったりして、どうにもこうにも。

 絵を描いていて、悲しくなるのはしょっちゅうだった気がするが、最近の状況*1を考えると、決していい事ではない。その前に、なんで絵を描いていて悲しくなるのかですよ。親父に生前さんざん「見切りをつけろ、見切りをつけろ」と言われたり、かつての広島市内のゲーセンや同人イベント以外での場所*2が絵を描く事とかけ離れすぎていたりして、長らく「描く事」に自信を持てなかったのが大きいのだ。親父の事もだし、勤め先で遭った酷い目とか思い出すんだよ、何故か描いていると。絵を見てもらう機会自体、少なかったしねえ。「絵を見てもらう機会が少なかった」ために、余計「絵を通して社会と繋がりたい」と言う願望が強くなったのだろうが、描こうとして悲しくなるようでは。今はサブカルビジネスセンター(以下、SBC)に通ったりしてるんだから、いきなり筆を折る事も出来んぞ。どうする、オレ。どうもこうも、悲しみを乗り越えて描くしかあるまい。とは言え、悲しくなる時とそうでもない時があって、感情が安定してないのだ。とか書いてて、オレは親父のために絵を描いていたわけでもなかろうとは思った。「高額の賞金をマンガでせしめて、親父にぐうの音も出ないようにしていれば」と何度も思ったが、そう考えて絵やマンガを描いてると、余計にみじめになるだけだ。「高額の賞金」うんぬんは、絵やマンガで自活出来んかった悔しさもあるんだけど、そっちの意味でも。せっかくSBCで機会を得ようとしてるのに、これでは。

 描いてて思い出すのは、親父の事や勤め先での事だけではない。2ちゃんねるで叩かれてた陰口もだ。最近はそうでもないが、描いてて思い出し凹んだ事も多かった。そのため自暴自棄になって、絵を上達させようと言う気にならなくなったのも否定出来ん。そのせいで、描く楽しみと言うものが分からなくなった時期も。絵を描いてて、吐き気がした事もあったし。と言うかさあ、なんでオレがこうまで家族や他人の言う事に振り回されにゃならんのよ。それだけ身近に「絵を描く事」に理解のある者が少なかったんだけど……。いかん、それを言い出したらまた泣けて来た。こないだ「絵を描く」友人の訃報に接して、凹んだのを思い出して。

 しかしこれでは、絵を描き続ける事が出来ん。どうにかして、オレを振り回していた言葉や環境を振り切らねば。こんなブログ記事を書かずに絵を描けばいい気もするが、それが出来んかったから書いていたんだっ! ちくしょう。

*1:サブカルビジネスセンターに通うようになったり、pixivやツイッターで複数の絵描きとの繋がりが出来たり。

*2:ぶっちゃけ、いろんな勤め先や家庭。