走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

いかん、また親父の亡霊が……

 親父の亡霊と言っても、幽霊が出たわけじゃない。親父の生前にかけられた呪詛が、また出て来たんだ……。それはオレの絵に関して「さいとう・たかをくらいの絵が描けにゃあ、つまりゃすまあがっ!」と言われた事だ。今は「ならばそれだけの絵を描くための、時間や場所などを提供してくれたらよかったのに。あれこれこき使いやがって」と思うが、言われた当時は凹んだ……。そりゃ、心の中で「今、さいとう・たかをはプロダクション制による分業をしてるんだけど……」とも思ったけど、口に出して言えるわけもなく。さておき、なんでまた親父の言葉に縛られ出したのかと言うと、最近買った『ネット絵史』と言う本を読んでいて、そこでインタビューを受けている第一線のイラストレーターの超絶技巧に触れた時「ここまで描けんと、ダメなんかな……」と思ったあと、前述の親父の言葉に呪われて。CLAMP大川七瀬は、家族の無理解程度でへこたれる者はマンガ家になれないと言っていたけど、毒親を簡単に乗り越えられるなら! ちくしょう、そんな事言うならスパロボ30やる時、レイアースのユニットもコードギアスのそれも二軍にしちまうぞ大川。いや待て、自分の家族の事と関係ない人に当たってどうする、オレ。話を戻そう、オレは自分の画力に劣等感を持っている。確かにいろいろなところで、絵やマンガは描いたさ。しかし、心のどこかで家族の無理解に苦しんだのをはじめ、いろんな紆余曲折により一時とは言えへこたれた自分に憎悪を覚えてるんだよ。自分への憎悪の果てはロクな事にならんから、なんとかせんといかんけど。

 それにしても、世の中マンガを読む者は多いけど、描きたくなって実際に描いちゃう者となったらグッと減る*1事などから考えるに「マンガを読むだけの者」と「描く者」の断絶は、思ったより深いらしい……。それは近年ツイッターなどであった出来事*2とかで、嫌と言うほど痛感した。オレが創作について泣き言を言ってるのは、まさにその断絶に起因するが、上手く言えん。マー、こじつけるなら前述の親父の言葉もまた「マンガを読むだけの者」からの心無いものだったんだろうけど。『ネット絵史』を読んで辛かったのは、2000年代前半*3の記述の箇所で「オレの知らんところで、こんなに激動していたのか」と思ったあと「こんな動きに乗れないまま、オレは何をしていたんだ……」と言う気持ちになっちまったからだ。実際は当時は児ポ法はじめとする表現規制の動きに対処していたり、そのあと親父の死でゴタゴタしたりがあって、あれもこれも一度に出来んかったのだが。なんだ、そんなに辛くなる事もなかったじゃねえか。それに前述の自分の画力への劣等感とて、オレは「上手く描こう」と思うから描けなくなったのであって、考え方を「自分の画力に満足しているわけではないが、今のレベルで描ける作品を描く事に集中しよう」と切り替えた途端、描けるようになったんだからいいじゃないかねっ! 他人と比較して凹むのは、親父の言葉がそれだけ強烈だったからだとは思うけど。コミケはじめ、東京や大阪の大きい同人イベントに行けていた頃は、そんなに劣等感もなかった。会えば話せる相手も多かった*4しな。その意味では、ネットも悪いメディアではないが、話がこじれた時のダメージがデカいから……。仲裁する相手が出て来る事が少ないっつーか。その辺は後日別の話でする、今の問題はオレの中でくすぶる親父の呪いだ。それに振り回されるのは、これからもあるこっちゃ。どうしたものか……。尾籠なたとえだが、うんこ漏らすのと同じで、折に触れて出て来るのは覚悟しとかんといかんのかも。

*1:読んでなくて描きたいと言う者は珍しすぎるだろうから、オレとしては勘定に入れづらい。

*2:その気になれんから、いちいち詳述はせんぞ。

*3:だいたい、pixivが出て来る前夜まで。

*4:ある年のコミケでは、広島のゲーセンで知り合って、しばらく音沙汰なかった相手のスペースに近づいたら(こっちは気づかないのに)声をかけられた事も。