走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

もはや2001年ではない

 この土日はブログ休むつもりだったが、辛い事を思い出し気持ちのやり場がないため、書いて吐き出す事にした。今から20年前の2001年はいろいろ不遇で、当時の勤め先の上司と乗っていた車から飛び降りようとまでしたのを思い出した。なんでそんな事をしたのかと言うと、その頃していた警備員の仕事から半ば干されたあと、その年はじめての仕事に向かう時に上司が「今年に入って、何回仕事した?」と聞いて来たので悲しくなり、死にたくなったんだよ。結局未遂で終わったが、そんなに自分の命を軽く見ていたのかオレは。見ていたんだが。この事を思い出して、かなりげんなりしていたが、未遂で助かったんだから、いいじゃないかとも思うように。それに、題名にも書いたように、もはや2001年ではない。あの頃よりずいぶんオレを取り巻く環境は良くなった*1し、自分の命を重く見るようにもなった。あんな事は二度としないだろう。マー、自分の命を重く見るようになった分、あの頃の周囲の悪意や自分の短慮さがきつくもあるんだけど。当時はネット環境も限定されていたり、他人に悩みを打ち明けられる機会が少なすぎたから、思い詰めていたのもあるし。しかし、あの頃の自暴自棄を今も続けるわけにもいかん。気持ちを切り替えんと……。フオ~ン、フオフオフオ~ン。ナナハン。こんなんで気持ちは切り替わるもんじゃないが、あまりに重い話をしたので。

 話を、なんで2001年には車から飛び降りようとするまで自暴自棄だったのかにすると、あまりに面白くない事が続いた上に、マンガ家になる事もあきらめちまったのが大きい。特に仕事もままならず、愚痴を聞いてくれる相手も今よりずっと少ないのがこたえた。仕事が出来ないと収入もないし、そしたら気晴らしも自分の将来に備える事も出来ない。なのでどうしたらいいか分からず、さらに前述の上司の言葉で自分が嫌になったんだよ。くっそー。仕事が出来ない事ですぐ死ぬ事はないが、自尊心も将来への希望もなくなったら人は死ぬんだよ。オレの場合、2001年がそうだった。ネットで趣味のやりとりが出来てなかったら、絶望の果てに別のところで死を選んでいただろう。自分の命を重く見るようになった今では、いろいろぞっとする話だ。とか書いていたら、また気が滅入って来た。繰り返すが、気持ちを切り替えんと。そのために繰り返し言うけど、現在は20年前より生きる希望がある。いい事だ。と言うか、オレが絵やマンガを描く事に対し、親父がずっと「見切りを付けろ」と言い続けて来たのがこたえて、2001年はじめ頃には絶望がはじまっていたのよ。1997年頃に仕事で酷い目に遭ったのも、オレを萎縮させていたし……。2006年に親父が死んで、やっと自分の人生を自分で生きられると思った矢先に、精神病が酷くなっていろいろダメになったのもこたえているが。ここまでの文章を思えば名前を出すのははばかられるが、2019年にサブカルビジネスセンターに入ってなかったら、いろいろ酷い事になっていた気はする。それまで絵を描く事もかなり辛かったし、セルフネグレクトも酷くなる一方だったし、映像作品を見ると言うのも長続きしなかったし。しかし、良くも悪くも「もはや2001年ではない」のだ、現状出来る事で勝負するしかねえ。

*1:ただし、万全ではない。