走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

共通前提が弱い現代社会

a-katu.hatenablog.com
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 上記記事などで何度か、氷厘亭氷泉(以下、ひょーせん)氏とその周辺たる「発狂倶楽部」による2025年万博のキャラを使った「命輝寺(みょうきじ)」ネタが陰謀論に使われた事について論評したが、この話は別の意味でオレにこたえている。オレの描いたマンガ『爆烈戦隊チャレンジャーズ』の2話目で「三十六計逃げるにしかず」と言う言葉と、登場人物が問答をはじめる時に「そもさん」「せっぱ」を使ったが、どれも分からないと言う若い読者がいた事に関係して。

 「そもさん」「せっぱ」なんて、一休さんくらいでしか見ねえよと知り合いに言われた事もあったし、今にして思えば命輝寺ネタの陰謀論盗用と同じく、共通前提がない相手との齟齬と言えるからだ。あと、前から思っていたんだが、ネットでいろんな考えの持ち主の存在が今まで以上に可視化されたけど、それぞれの平和的共存は遠くなってるんじゃないか? 命輝寺騒動もオレのマンガの台詞を巡る齟齬も、そこに関係していそうでな。「相手を理解しよう」と言う歩み寄りが難しいっつーか。その一因に、共通前提の確認や共有がネットでしづらいのがあると、オレは思っている。どう言うわけか、最近は「知らない事」を見聞きした時の反応が鈍いんだよね、多くの人が……って、書けば書くほど悲しなって来たわ。いくら書いても結論にたどり着けないもどかしさと、繰り言になってる怖さとで。

 無理くり話を進めると、ネットによりいろんな考えの持ち主の「タコツボ」が点在しているところまでは可視化されたが、それらを緩やかに繋ぐ「線」が出来てないのが怖いと思っているのよ。「線」のひとつに共通前提の確認がある気はするが、それがどこもかしこも上手く行ってない……。分断工作が成功しているケースもあろうし、単に話者同士が頭悪いだけなのもあろうし。いずれにせよ、いい状況ではないな。これ以上は、オレの考える範囲でもなさそうだから「共通前提の確認」うんぬんはここまで。それ以外に思った事を、稿を改めて書く事にした……。トホホ。いえね、文章のまとまりを考えると、そうするしかなくて。