走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

ネットで人と接する時にやらかした失敗

 むかし、ネットに入りびたりはじめた頃、いろいろあちこちに迷惑をかけた。特に「趣味が同じ(あるいは近い)相手なら、悩みや愚痴も聞いてくれるだろう」と、そう思った相手の掲示*1で延々と愚痴って怒られた事が多かった。今となっては「飲み屋とちゃうわ!」としか言いようがないが、愚痴を聞いてくれる相手がまだいなかった*2ため、そんな失態を。とは言え、徐々にネットで会話出来る相手が増えたり入れ替わったりして、現在に至るのだが。あの頃、スマホで四六時中ネットに繋がる時代でなくてよかった。そんな時代だったらネットの負の側面に打ちのめされて、孤独を埋め合わせるどころではなかったぞ。最近さんざん名前を出すサブカルビジネスセンターは、オレがネットはじめた20年くらい前よりネットが普及した今だから出来る試みでもあるけど、それ以外だとネットが人を縛る恐怖も増大化して「かつて、そう言う事にならんでよかった」と安堵してる。話をネットに入りびたりはじめた頃に戻そう。当時「趣味が同じ(あるいは近い)相手なら、悩みや愚痴も聞いてくれるだろう」と言う期待が間違いだと気づいたから、その後趣味関係で起きた人間関係のトラブルを経て「趣味が合うからと言って、そいつと他のところで話が合うわけでも、ましてやそいつがいい奴だと言うわけでもない」と言う結論に達せたのかも知れない。人はトラブルからも学べるものなのね。

 それにしても、ネットやってなかった90年代に、どう人とコミュニケーション取っていたか、いいかげん忘れそうだよ。前から言うようにゲーセンや同人イベントで人と接していたんだけど、それ以外どうしていたんだ? いろいろしくじった*3から、文通はロクにしなくなったってのは覚えているが。文通に関して言えば、うつ病みたいな症状が出ていた時期に手紙を書くのも辛くなったからでもあるが。ネットはレスポンスが手紙より早いから、すぐ返事しないと困るのはオレだと思い、必死だった時期もあったな。いい事なのか、悪い事なのか……。誰にでも黒歴史はあるものだが、これらも思春期前半の孤立やしくじりに影響されたものだと思うと悲しい。いや待て、家族が悩みを聞いてくれんかった事の方が、オレを歪めた気がするぞ……。なんてこった。いわゆる「夜遊び」をしないから、飲み屋に入りびたる事もなかったため、いまだに人間関係狭いし。マー、肝臓弱い上に下戸だから、酒飲みになれんかったと言うのは仕方ない。愚痴を聞いてくれる相手としての飲み屋も開拓してない大人と言うのはアレだが、酒が苦手な上にドクターストップまでかかっていては、もうどうしようもない。この記事の最初の方でネット掲示板を「飲み屋とちゃうわ!」と言ったのは、そこら辺にあるけど。

 ここまで書いて、オチと言うか結論が見えて来ない。自分の失敗は異常に覚えているが、逆にいい感じのコミュニケーションが取れた時の事は記憶に薄いから、こんな文章書いてしまった気もするが……。

*1:その頃ネットでのコミュニケーションは、個人運営の掲示板が中心だった。

*2:当時は、ゲーセンで人と会う機会も同人イベントへの参加も減っていた。いろいろあって……。

*3:詳述はせんぞ、あまりの事に墓まで持って行く覚悟だからな。