走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「おおおおお~!」と言って、見えて来たもの

 自分の「ある種のさみしさ」について、このブログでいろいろ書いていた。オレはオタクであるから、オタク趣味をもってそれに対抗出来たはずが、持病など様々な要因によって趣味が楽しめない時期により「ある種のさみしさ」がどっと襲って来た。正直、そのときゃこたえた。「自分の中に何もなかったのか?」とさえ思えて。結論から言うと、何もなかったと言うのは間違いだったけど。話を最初に戻すと、オレが「ある種のさみしさ」に言及していた時は「おおおおお~!」と、題名に付ける事が多かった。そんな事を繰り返しているうちに見えて来たのは、オレ自身が「ある種のさみしさ」を抱えている事を、悪とみなしすぎなんじゃないかと。人間、自分の力でどうにもならない事はいろいろあって、その中に「ある種のさみしさ」がある者は少なくない。もっと具体的に言うと(男女で)「つまらない事でも言って、笑い合いたい……」と言う感情とかな。あと、性的な方面の欲求。字面にすると身も蓋も無いが、言わんと話が進まん。んで、これらを「自分の力でどうにもならんがな」と達観するのも難しい。何度でも言うが、だからと言って「悟りを開け」とも「オレは」言えんし。と言うか「悟りを開け」と言うと高尚な話に聞こえるが、どっかのアホウの言う「モテない男にはチーズバーガー2個*1与えて、隔離せよ」とたいして違わん、オレの目には。だから迂闊に「悟りを開け」とは言えねえんだよ……。自ら「自分の力でどうにもならんがな」と達観するのとはわけが違うからな。話を戻して、オレが節操なく「女をあてがえ!」とわめかないのは、言ってもどうにもならんからだ。それに、モテるような行動をしなかったのもいろいろ理由があるが、今は書くまい。書けば悲しくなる一方だからな。ところで、さみしさを飼いもので埋める人も少なくないが、オレは他の命と伴走して生きる自信もノウハウもない。だから飼いものを提案されても辞退してた。と言うか、飼いものでさみしさを埋める行為もまた、人間様の身勝手に過ぎる気がして。と、書いてて、オレはつくづく孤立を選択したがる性質(たち)なんだなと。そのため、こんな記事でぐずぐず言ってるんだが。

 ここで話を最初に書いた「持病など様々な要因によって趣味が楽しめない」事について触れる。正直それがなかったら、こうまで苦しまんで済んだ。それでも、さみしさや人恋しさは感じていただろうが、ブログで何度も何度も愚痴る事はなかったかも知れない。あと、オレは絵やマンガが描ければいいとか「絵を通して社会と繋がりたい」とか、絵やマンガから広く人と繋がれる*2とか思ってもいるので「インセル」みたいな身勝手極まる思想になってないのかも知れん。閲覧者や読者がいなければ、絵描きやマンガ家は日干しになるんだし。「お前の作品が女性に受けるのか?」と言われそうだが、自慢じゃねえけどオレがサブカルビジネスセンターで描いてる『精神障がいエッセイマンガ』は、女性スタッフなどから「絵が可愛い」と言われた事があってね。いや、あれは老若男女問わず読んでもらいたいと思って描いているんだけど。それでも「持病など様々な要因によって趣味が楽しめない」のはきつい。絵やマンガを描く上での「入力」が足りなくなる気がして。いやいや、そう考える一種の「浅ましさ」もまた、趣味を楽しめない要因かもな。

 この辺の話は「のけ者」を作る人間心理……要するに以前から触れてる「仲間意識が仲間はずれを作り出す」と言う言葉にも関わって来そうだが、そこまで話を広げられる余裕は、今のところはない。だけど最初の段落で触れたどっかのアホウは、まさに「仲間意識が仲間はずれを作り出す」に依って、ネットでの立場を確保してる気が。そんな奴に断罪される筋合いはないよなあ。

*1:ある種の快楽物質の量が、それを食べた時に相当するとかで……。

*2:それは、ある程度実現出来た事だし。