走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

オレはもう、オタクではないかもしれない

 最近、アニメやマンガに触れておらず、ゲームもする気になれない。いろいろあってオタク系の絵を描くのも怖い……。これではもう、オレはオタクと言えるんだろうか? 正直、自信がなくなって来た。マー、世間一般で通用しそうにない知識ばかり頭に詰め込んでいるところは、オタクかも知れないけど。

 あと、オタク系の絵を描くのが怖い件だが、ツイッターでの罵倒合戦を見ていたら、どうにも。今、すっげえ価値観が揺れてるんだっ! オタクに対しても、それを攻撃するフェミニストに対しても、疑問があって……。「卑怯なコウモリ」と言わば言え、それぞれがそれぞれに対して逆張りをしている現状に疑問があるが、ではどうすればいいかの答えが出せんのは事実なんだからな。誰のどう言う発言が問題かは、具体的に挙げられない。いくら言ってもどうにもならん気がするのと、ツイッターなどで見ても出来るだけ逃げたり見なかった事にしていたもので。だけど無理くり挙げていく、そうせんとオレの不安や懸念が伝わらん。まずオタクの側だが、論敵を大喜利であざけったり、表現規制に反対しときながら「人権は国が与えるもの」と言う言葉になびいたりしおって! 他にもいろいろあるが、ありすぎて覚えてられんかった。持病で精神状態が安定せず、ツイッターやブログで批判する事も出来んかったし。フェミニスト側もたいがいである、たとえば「こっそりやるんなら文句は言わねえ」とか。地の果てまでも追いかけかねん勢いで、あれこれ炎上させといてそりゃないだろう? 他にも「文化は破壊と創造で成り立っている。批判をふうじこめるのは、文化の衰退を招く」とか……。

お前ら、創造したためしはねえじゃねえか!

 ……あるいはオレが知らんだけかも知れんから、もしフェミニスト側が創造した例があったら紹介しておくれ。と、書いたあと、瀧波ユカリさんと言う方がいた事を思い出したので、今回はこの辺にしとくわ。直近で気になった発言は、紹介出来たし。ところで「文化は破壊と創造で成り立っている。批判をふうじこめるのは、文化の衰退を招く」と言うのも「オタク系の文化は、破壊されるべきもの」と言う傲慢を感じないでもない。

 それにしても、何度も「このままでは『女を描くな、女から抗議が来る』が現実になるぞ! いいのか?」と訴えたが、保守派がフェミニストを取り込みだした*1り、コロナウイルス絡みで起きてる昭和の終わりめいた「自粛」ムードだったりを見ると、奥村勝彦が桜玉吉に言った「面白い事をやっちゃいけないような世の中になったりして」*2が実現するんじゃないかと言う恐怖にとって代わろうとしているよ!

 話を「オレはもう、オタクではないかもしれない」と言う題名で言った事に話を戻すけど、前述の「面白い事をやっちゃいけないような世の中になったりして」が実現するんじゃないかと言う恐怖から、みっともない逃げを打とうとしているのか、恐怖で取り乱してしまったのか……。そこも影響してそうで。あと、持病から来るうつ状態な。ならば持病の療養をした方がいいのかも知れないけど、あまりにいやな話が多すぎる。こう言う時、距離的な意味で身近に、支えになる相手がいないのは辛い。と言うか、最近縁持ちましたる人たちにも、オレの不安や懸念をどこまで喋ればいいのか分からん。いったいどうすればいいんだ!

 ……この話、ここまでで棚上げにする。だが「オタクとして作品を作り、与えたい」と言う気持ちが揺らいでしまうほど、状況が手に負えない事になっていてはなあとは思っている。いるけど現段階では、どうにも出来ん……。また「トホホ」と、松金よね子の声色で泣くしかねえのか? なぜ松金よね子かって? 『冒険ロックバット』ですよ。……こんなたとえをするなら、オレはまだオタクなのかも。その中でも「懐古厨」と言う奴だろうが……。

*1:渡辺真由子が、世界日報に取り込まれたとかな。

*2:桜玉吉『漫喫漫玉日記 四コマ便』134~135ページより。