走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

どうにも今日は、気が滅入る……

 今日は出先から帰ってからと言うもの、気が滅入っていかん。頭がぼんやりして、書き物に向いてない状態でもあるが、ツイッターで早押しクイズめいた事はますます出来んので、この記事を書いている。

 それにしても、愛されたいと思いつつ、結局何も行動してなかったのが悔やまれる。「ふーやれやれ、またか」と言われそうだが、オレが長らく自分で自分の人生を生きてなかったせいで、いろんな物を取りこぼしたのが落胆とともにこたえて……。くおお。「愛される事」も含め、その多くは今さら取り戻しようもない。オレが絵やマンガを描く事に異様*1に執着しているのも、もう残った幸せがそこくらいにしかないからだ! 「愛される事」を取り戻しようがない点に話を戻そう。女引っかける努力も行動もしてこなかった上に、オレ自身が人間嫌いだったのではどうしようもない。最近になってだいぶ改善したが、長年の不幸が人間不信を心の底に根付かせていたせいで、大損こいたよ。それはいわゆる「貧乏くじを引いた」ってやつだよ……。そのため、常にさみしさと戦いながら死ぬまで過ごす事になっちまった。だから取り返しのつかない事と知りつつ、泣き言をだな……。これで絵やマンガを描く環境が好転してなかったら、今こうして生きていられたかもあやしい。「描く事」が「愛される事」の代替品になるかどうかは分からん。世の中には「描く事」の喜びと「愛される事」両方を手にした者も少なくないからな。どっちかしか選べないと言うわけでもないなら、代替品として比較するのはおかしいだろ。じゃあ何故「描く事」を持ち出した、オレ。「生きる望み」足りえる数少ない……下手すりゃ唯一の……ものだからだよ! ちくしょう。だから自分に言い返してどうする。

 もっと早く「自分で自分の人生を生きる」事が出来ていたら、もっと早く絵やマンガを描く力を付けていたら……。他にもこう言う後悔は沢山あるが、言っても「たられば」にしかならん。それを承知で、今回は書いてるんだが。だって、つれえんだもん。前述の「常にさみしさと戦いながら死ぬまで過ごす事」が。「男女の仲」に限定しなければ今の人間関係はいい方だと思うけど、常に感じている独り身のさみしさは結構こたえて。それを自分への罰だなんだとは考えてないが、誰を責める事も出来ん話なので余計辛い。いや、若い時分のオレに「男女の仲」への恐怖や嫌悪を植え付けた親父など*2はかろうじて。親父は死んだけど。……ええい、こんなシケた話を延々していては、気が滅入る一方だ。オレの人生も「貧乏くじを引いた」と言うより押し付けられたところもあるし、あまり自分を追い込むのはやめよう。「常にさみしさと戦いながら死ぬまで過ごす事」の辛さに負けて、死ぬわけにもいかんし。

*1:多少語弊はあるが、自分の執念の深さに慄然としているのも事実だ。

*2:女性そのものではない。