走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

おっ! ビビビビビ~ン! おっ! ビビビビビ~ン! おおおおお~!

 まず、以下の連続ツイートをお読みいただきたい。

 身につまされる話である。オレは飼いもの……つまりペット……を飼える状況ではないと思っているが、同時に精神的な支えがもっと欲しいと思ってもいる。だから「おおおおお~!」と題名に付けた記事で、いろいろ苦衷を述べていたんやないかい。その度に、上記ツイートにある「余裕がないやつは愛し愛される権利ない」ってのが跳ね返って来て、どうしようもなくなるんだが……。異性とか飼いものとかを精神的支えにせず、別の何かを精神的支えにしようと思っても上手くいかず……。オレは精神的な支えが少ないからと言って「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」なんて事はしたくねえんだよ! 世間は、そう仕向けて来るけどな。……やっぱり創作でしか得られねえのかなあ? オレの精神的な支えは。いえね、この記事書いてて、オレの精神的な支えとやらは何かを訴える事の中にあって、それには創作が適していると言う気がしたのよ。いや待て、それもまた「自分でなんとかしろ」と言う新自由主義的な「自立の鬼」でしかないような……。オレだって、恨みつらみを書き連ねる以外の精神的な支えが欲しいし。ツイッターYouTubeで猫の写真や動画を見ていてもいいのだが、それもなんかさみしい。と言うか、オレが「自立の鬼」になる事を恐れすぎて「自分に出来る事」を軽視してるから、こんなに苦しいのかも知れん。あと、世の中への恐怖と憎悪。おかしいなあ、オレは人生を楽しむつもりだったんだがなあ……。

 「世の中への恐怖と憎悪」だが、世の中の連中の多くがオレの敵で、いつか袋叩きにされ死ぬんじゃないかと言う恐怖と袋叩きにして来そうな連中への憎悪がない交ぜになってるっつーか。これが被害妄想だと言う気もしているが、いままでの人生が人生だったもんでねえ。「世の中への恐怖と憎悪」を精神的な支えとして生きていた時期もあったけど、逆に辛かったからこれは悪手だったと思うけどよお。

 はあ……、どうにか精神的な支えを増やして生きやすくなりてえもんだが、どうすりゃいいんかな。そんな事考えんで、粛々と死を待てってか? ……どうしても考えが新自由主義臭くなってしまうな、そんな事しても竹中平蔵あたりが銭恵んでくれるわけでもないのに。と言うか、もうこの記事書くの疲れた。いくらひとりで考えても、どうにもなりやしない! それにしても、飼いもので精神を保つ事と、二次元キャラに思いをはせて精神を保つ事との間に、たいして差はない気がして来た。うんこしない分、二次元キャラの方がどんなにか……。あ、話をそう言う方に持って行きます? と言われそうだが、二次元キャラに思いをはせて生きる方が「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」よりはずっといいと思うようになってね……。