走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

もう、幻想は砕けたのです

a-katu.hatenablog.com

 上記記事の続き。上記記事を書いているうちに、オレが「絵を通して社会と繋がりたい」と思った一因を思い出した。ゲーム誌などでイラストを載せてもらえば、現実の自分がいかにみじめな人生を歩もうと、いじめられていようと、そんなの関係なしに愛されるだろうと思ったんだよ! だが……。もう、その幻想は砕けたのです。SNS時代になって、それなりに格好のつく人生を歩んでないと、絵描きとして恥ずかしいと言う空気が出来たみたいで。その気持ちは、こないだ「女性に酷い事をして来たのを理由に、ピカソの絵が焼かれるかも知れない」と言うツイートを見て、ますます強くなった。絵描きも品行方正である事を求められまくってるようで、怖い。ピカソの絵が焼かれると言う事はないと思いたいが、前述の「絵描きも品行方正である事を求められまくってる」点を考えると、なくはないと言う恐怖も。未成年との性交を理由に、ゴーギャンの絵を美術館に置くなと言う運動があったのも記憶に新しいし。

 しかしだ、こんな事ばっかりで、芸術や文化は豊かになるのかよ!? オレにはそうは思えない。思えないが、この気持ちを誰かと共有して、状況を好転させる事も出来ん……。人生の前半のうちの長い期間、自分以外敵と言ってもおかしくない時期が続いていたため、不安が出るととことん悲観してしまうのだ。そこに加えて「価値観のアップデート」をかさに着て暴れる連中を見ては……。だから「もう、幻想は砕けたのです」と言ったのだ。だからと言って、筆を折ればオレの嫌いな連中の思う壺だけど、孤立無援では状況を好転させる事は出来んのだっ! しつこいけど。それでも「絵を通して社会と繋がりたい」と思うしかない。迂闊にあきらめても、そのあとどう生きるべきか誰も言っちゃくれないしねー。

 ここで話を戻すけど、いくら絵が上手いからって、そいつの悪事や不品行が免罪されるわけじゃない。だが、法の不遡及に代表されるような考えにのっとれば、過去の絵描きの行状をジャッジして、作品をなかった事にすると言うのは……。それに、これもどびつこく言うが、そうやって芸術をやせ細らせた連中が、新しいものを提供してくれたためしもないし。自分の嫌いなもの*1を粉砕出来れば、あとは野となれ山となれってか? だから「価値観のアップデート」が信用出来ないんだよっ! けっ!

*1:物でも、者でも!