今のところ、本降りでないから、この記事をさっさとアップする事にした。大枚はたいてニンテンドースイッチを買い、ふたたびゲームをするようになってからツイッターの呪縛から逃れられたはいいが、その効果が薄らいだかも知れん。この記事を書いている時点で気が滅入っているのもあるし、いろいろクリアしたりプレイに一区切りついたりしてゲームやる気がゆるんだのもある。ダメじゃん! マー、安い買い物じゃなかったんだから、元は取る気でいるけどな。
それでもゲームの世界は、オレの逃げ場所として最適ではあるんだが。ゲームはかつてのオレの孤独を、充分に癒してくれていたのだ。そして、今も。このブログで「オレは実は、ゲームを楽しんでなかったのではないか」みたいな疑問を書いた事があった*1が、それも一時の過ち気の迷いだったのかも。のちに、ゲームの世界やキャラを絵にする事の楽しさにも気づくんだけど、こうなったら両方楽しもう。人生の残り時間も少ないし、オレは欲張りなんだよ。そんなこんなで、下記ツイートをご覧いただきたい。
新豊玉三郎です。ゲームは人生に必要ではないと言う者もいますが、私をツイッターの無明から救ってくれました。#マンガ #エッセイ pic.twitter.com/rt2AxHJCgM
— サブカルビジネスセンター【SBC】 (@Subcal_Biz) 2020年7月6日
このツイートには、ゲームをことさらおとしめる連中*2へのあてこすりも含んでいる。「ゲームは人生に必要ではないと言う者もいますが」と言うところに。下記ツイートのウケウリでもあるが……。
ニュースでサッカーの長友選手が「サッカーは生きるのに必要ないかもしれないが、幸せになるには必要だ」と語ってました。サッカー以外にもいろんなものが言い換えられると思いました。
— 青木健生 (@p_kobushi) 2020年7月1日
ゲームをことさらおとしめる連中に従っても、幸せにはなれんし腹も膨れんし、最悪不幸が倍付けになる。詳述すると不愉快になるから言わないが、オレがそうだったしなあ。とか書いていたらスッキリして来た、またゲームやろう。