走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

未来に生きられる者、生きられない者

 このツイートを見て、水木しげる『幸福の甘き香り』に出て来たねずみ男が、主人公に見せた紙芝居のひとつ「将来の幸福のためコツコツ堅実に生きたが、幸福のための準備に人生を費やし、味わう事なく死んだ侍」を思い出した。ねずみ男はそのあと「現在の自分の楽しみ」を見失わない遊び人には「煉獄の苦しみが待ち受けている」とも言うんだけど。とは言え「子どもが今を楽しんだっていいじゃないか」と言う、上記ツイートには同意。ただねえ……、子どもは成長するものだから、それゆえ未来に生きる事も出来るような。オレは未来に生きられなかったけど。あまりにも家庭が荒れ、子ども時代のある段階で「もう、こんな状況で未来の自分なんて想像も出来ん! 刹那的に生きてやる!」と思っちまったから。そういや上記ツイートには、さらに「人間、いつ死ぬか分からないのだから」と言うツイートが続くんだった。オレは今日まで生きて来られたが、そうなると刹那的に生きた若い頃がちと恨めしくて。だから「子どもは成長するものだから、それゆえ未来に生きる事も出来るような」とも言ったのではないか。「子どもが今を楽しむ事」に、否定的ではないつもりだが。

 もうひとつ、上記ツイートから。「未来の為に、『健康・健全』であることを押し付けられ」と言う点だけど、確かに言われてみれば。義務教育しか出てないオレだが、身体が弱かった事は教師からも児童・生徒からも、悪とみなされていたフシがあったからなあ……。「健全」については、性的な意味だと教師のタテマエ論か、同級生の下ネタや今で言うセクハラかだった。どっちもオレの心身の悩みを救ってはくれなかった。おまけに、社会の「健全」である事*1に無理して応えようとしていたのが、のちに宗教に引っかかる一因であった。中学生が、オナニーしたっていいじゃねえか! くっそー。

*1:性に関し「見ざる言わざる聞かざる」を強いる事。