走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「普通の人」の恐怖

 以前、サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)で描いている『精神障がいエッセイマンガ』において「正気」とは何かと言う事を3回にわたって描いた。結論として、五体満足で稼げているなら「正気」と言うわけでもあるまいみたく描いたものの、さらに掘り下げるにはサブカルBCは適してない気がするので、こっちで話を広げてみる。何故、五体満足で稼げているなら「正気」と言うわけでもあるまいと結論づけたのかと言うと、オレの辛い過去が関係して来る。オレを殺そうとまでした勤め先の連中は、前述の条件で言えば「正気」あるいは「普通の人」だろう。しかしね、会社と言うブラックボックスを隠れ蓑に、パワハラや殺人未遂をする奴が「正気」かよ「普通の人」かよとは言いたくなる……。殺されかかった事は『精神障がいエッセイマンガ』でも描いたが、サブカルBCから求められていたものとは違っていたようで。だからこれから話す事は、あそこでのマンガには適してない気がしたんだ。頭が働かんのでまとまりなく書くけど、以前こんなツイートをツイッターで見かけた事があった。ある障がい者に「思ったより普通ですね」みたく言ったら「だって、そう振る舞わないと差別するんでしょう?」と返されたってのを。これを思い出した時、オレには現代日本が不幸から這い上がる事も幸福になる事も、ましてやおのれのどうにもならない点を受け入れて生きる事も許されず「普通」に振る舞う事が要求され続けている社会なのではと思えて……。反対に言えば「普通の人」と言う隠れ蓑を使えば、いくらでも酷い事をし放題な残酷極まる社会と言うか。オレを殺そうとした勤め先の連中が「普通の人」の隠れ蓑を使って酷い事をしてる奴の典型で、そんな連中は現代日本社会の東西南北前後右左にうごめいているのだ。ああ、恐ろしい。「普通の人」の隠れ蓑を使って酷い事をしてる連中を全滅させる事は出来んだろうから、ちょっとだけでも社会の風通しを良くし、「普通の人」と言う隠れ蓑を一枚でも多く引っぺがし、酷い事を出来なくするしかない。確かにこう言う話は、サブカルBCのマンガでは出来んな……。

 このあと、延々ある事を書いたものの、テーマにそぐわない話だと思い直して削除した。以下、仕切り直し。ところで、オレを殺そうとした勤め先では、殺されそうになる前こんな事も言われた。地元で有名な精神病院を引き合いに出して「いいね、お前はお友達が沢山いて!」と。つまり「お前は気違いだ」と言ったのだ! これが「普通の人」の恐ろしさだ。精神を病んだ者を理解するより切り捨てる方が楽だからな、ちくしょう。この辺にはいろいろ複雑な思いがあるけど、簡単には説明出来ない。それでも反対にオレは「普通の人」に言いたい。五体満足で稼げる連中*1だけが生きていれば、あるいは自分の目に付くところがそう言う者ばかりなら、それでいいのかよと。それは「際限ない足切りゲーム」のはじまりやでと。しかし一方で「言うだけ無駄」な気もしている。夏野剛田端信太郎、はたまた堀江貴文ひろゆきみたいな連中が闊歩しているようでは……。ちくしょう。

*1:あるいは、そう見える者。