走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

絶望に負けてたまるか!

 うっかりツイッターのタイムラインや、5年くらい前のこのブログの過去ログなんかを見ていたら、それらに横溢する絶望にうんざりした。ツイッターはさておき、過去ログですよ。オレがあまりに絶望していたのは伝わったが、そこからどうしようと言うのはさっぱり。と言うか、これ以上絶望に耽溺してるわけにはいかん。そう思って、題名をあんな感じに。絶望してたって、その先は自殺くらいしかないもんな。5年くらい前と違って、今はまだ死にたくないんだ。いろいろあって。それをいちいち説明する気はないけど。……って、ちょっと待て。オレは最近、何につけ「説明出来ない」ばかりだな。それで閲覧者を納得させられるか? それだけ対話と言うものをあきらめていたんだが。とは言え、なんでもかんでもネットでつまびらかには出来ない。個人情報は自衛せんとな。それで言える範囲で言うと、まずはサブカルビジネスセンター(以下、SBC)でやる事があるからだ。次に、何度か言ったけど自ら死を選んだとしても、それを知って勝ち誇る連中の事や反対に悲しむ人の事を考えると、やめときたくなる。実のところ、SBCで人生のやり直しがはじまるまでは、生きる事がどうでもよくなっていたけどな。「オレが死んで悲しむ人」にしても、どうにか因果を含めてあきらめてもらえんかと考えた事も一度や二度じゃない。その度に相模原の「やまゆり園事件」や西部邁の自殺*1などがあって、説得して自殺と言うのは思い直したけど。

 こうしてみると、オレは苦しい思いをしながらも、薄氷を踏むような感じで生き延びて来たんだなと。前述の「オレがあまりに絶望していたのは伝わったが、そこからどうしようと言うのはさっぱり」と言う点にしても、5年前はうつ状態が悪化しセルフネグレクトも酷くなる頃だったんだから、我が事なれど責めるのは酷と言うもの。むしろ苦しい思いの中、ここまで来た事を誇りたい。SBCに通ってなかったら、コロナウイルス禍で心が完全に折れて「もうどうでもええわい!」と、死んでいた可能性も。せっかく拾った命だ、大事にしようっと。

*1:当人の選択より、幇助者の理屈にげんなりした。