「悪魔が私に取り憑いている」と極度の不安を抱えている人がいたとして、その人に対して「悪魔なんて存在しない、精神科か心療内科に行くべき」というのは確かに正しいかもしれないが、寄り添うというのは「悪魔祓いの呪文を唱えたからしばらくは大丈夫」と敢えて言うといった部分は、少なからずある。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2019年11月28日
逆に言えば、カルトや宗教ビジネスなどは、そういう「寄り添い」を悪用しているわけだけど、ある種の正しさしか認めない社会において、この例え話のような「寄り添い」は、違った文脈でもう少し見直してもいいんじゃないかという気はしてる。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2019年11月28日
敢えて「正しさを一旦保留する」という姿勢が、何かに「寄り添う」には必要な場面もあるかもしれない。それは、ともすれば保留した側が逆に取り込まれかねないし、先に述べたように悪用も可能なので、技術的課題や実践上の問題なども多いと思うけど「相手の立場から考える」意味は何かしらあると思う。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2019年11月28日
これは、オレがこないだ無料のタロット占いで、いい結果が出てほっとしたのにも通じるのでは。そりゃ占いなんてバーナム効果じゃないかとか言った、正しさを自分に押し付けることだって出来る。だがそれで、オレの気持ちがほっとしたかい? もしかしたら、正しさだけではオレの心はどうにもならなかったのかも。上記ツイートにもあるように、胡散臭い連中がそこを突いて来るのは警戒せんにゃならんけどな。あと、「嘘も方便」を悪用する連中に対しても。
なんでこんな事を繰り返し言うのかって? 人間、いつもいつまでも磐石ではない以上、正しさを実践出来る強さを、万人……特にオレ……に期待しすぎてはいかんのではないかと言う気がして。31年前、オレに上記ツイートで言及された「寄り添い」をしてくれる者がいなかった*1ばっかりに、宗教に引っかかっちまって……。それを思うと、今こそオレはオレに寄り添う必要があるのではと思う。いや、率先して寄り添え! 誰が寄り添ってくれるわけでもなし。ただし、インチキには気を付けながらな。
*1:だからと言って、正しさを要求されてたわけでもない。