走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

おおお、おおおお、おおおおお~!

 疲れや、話し合いの出来る相手の少なさから、孤立感が強く。性的な意味のさみしさも出るし、どうすりゃいいのか? とか書いていたら、気絶同然に寝ていた。頭の中の思考のノイズは取れたが、性的なさみしさは消えない……。やっぱり今日は、何も考えないで寝とくべきか。身体が悲鳴を上げ、まとまった文章を書ける状態ではないし。

 性的な意味のさみしさだが、まだひとりで出すのが辛いんだ! なんでこうなってしまったんだ、人恋しさで失敗した事は少なくないのに。ただねえ……。何度も言ってるかも知れないけど、オレの中の「ひとりでいなければならない」と言うのが、前述の人恋しさからの失敗で臆病になっているためか、萩生田光一ホリエモンみたいなのが言う「身の丈」だの「身の程」だのに毒されたためか分からないのよ。もし後者なら、考え違いもはなはだしいが。それにツイッターでのさまざまな恋愛だの性愛だのについての物言いが、オレの考えを曇らせているのかも知れん……って、オレにはツイッターしか見るものないのか!? だからさみしくなるんだろうな。

 話を「身の丈」だの「身の程」だのに毒されたうんぬんに移そう、収入により出来る事が限られるのは仕方ないとしても、「身の丈」だの「身の程」だのと言って第三者が人を縛る理由にしてはならんのではなかろうか? 話を広げないようにオレ自身の話に絞るけど、人恋しくなったりする時に「身の丈」だの「身の程」だのを言い出しては、「黙ってひとりで死ね」と言っているのと変わらんような。だから毒されたと。他人に言われても腹が立つのに、なんでそんな事内面化しているんだ! 自分に腹が立って来るわい、この辺は「金を使う」自分への自己嫌悪にも繋がるから、話はややこしくなる。

 長らく代替行為として、自分の欲求を絵やマンガにして発散していたつもりだったけど、最近はそれもご無沙汰だし。なんかこう、「好きなものを描く」事に対する引け目みたいなものが。前述の、ツイッターでのさまざまな物言いに足を引っ張られていると言うか。あるいは描きたいと言う欲求とは別に人恋しさはあって、それが急に膨らんで来たのかも。代替行為とか二項対立にすべきもんじゃなくて。これは人恋しさとは別に、話を掘り下げた方が良さそうだな。