「知らない言葉があった時に辞書やスマホで調べるのはオタク的行動」って…てめぇが知的に怠惰なのを棚に上げてヲタク扱いって、いい度胸だよな。
— 杉下京子@飯テロネズミスキー (@kyouko_sugisita) 2019年1月15日
「知らないことに出会ったとき調べるのはオタク的行動」というやつ、どうりで無知を恥じない・そのままにして世の中フラフラしてる自称善良な市民が多いと思った。
— クロサキ (@wing_of_wolves) 2019年1月15日
「知る手間」を省きたいがため、知ることを「ださい行為」としておけば無知のままマウントとれるからね。
前にもこのブログで似たような話をして、その時も何も知ろうとしない「普通の人」の恐ろしさを嘆いたものだが、これほどまでとは。ググれば正しい答えに出会えるとは限らないが、無知を自覚した方がいい時と言うのもあるのに、なんて事だ。こりゃ、カルト宗教も「江戸しぐさ」も「親学」も、近藤誠も内海聡も、その他もろもろのインチキも栄えるはずだよ……。引用したツイートにもオタクに対する蔑視が見えなくもないが、それはそれとして、こうまで「知」と言うものが軽視されていては、日本に明るい明日はない。もーいや、もーいや、もーいやゼリー!
ネットやってて、他の人の意外な知識などに触れ、自分が何にも知らない事を思い知り愕然としたオレとしては、これほどまでの知的退廃に、げんなりせざるを得ない。最近、うろ覚え気味な話はスマホで調べる癖を付けている*1オレからすれば、「調べたらオタクっぽいから調べない」と言い切れる連中が信じられないし、怖い。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言う言葉を……、知っていたら前述のような態度はとらんか。この知的退廃は、「ネトウヨ」にも見受けられる。いえね、「ネトウヨ」の間でも、ヤハリ調べる者がいやがられる風潮があるようで……。こんな状態では「三角関数はいらん」とか、「古典は本当に必要なのか」とか、「漢文を学校で教えるな」とか言う欺瞞がまかり通るわけだ。思想の左右問わず、こんな知的退廃が横行していては、どうにもならない。今までオレは、オレの知っているような事は誰でも分かるような事だと思っていた。しかしどうやら、考え方を変えねばならないようだ……。こうまで知的退廃が進んでいるなら、マトモにオレの文章を読める者は意外と少ないと思わねばならん。文体などを、考えなおさねば。フォーマルな書き言葉に近い書き方をしていたつもりなのに、それが通じんかも知れんとなると……。
*1:繰り返すが、だからと言って正解が得られるとは限らないけど。