走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

模倣は悪い事か?

 上のツイートの画像に、宮武外骨の『スコブル』の一文が写ってるが、オレは模倣と言うものを、外骨ほど嫌ってはいない。と言うより、外骨が独創的すぎるし、彼にしてからが若い時分に明治初期の新聞雑誌からいろいろ吸収していたんだし。

 模倣と言えば、真樹村正の『ジャンジャジャ~ン ボスボロットだい』やイマイのプラモ『ロボダッチ』シリーズも、時期的に『がんばれ!ロボコン』のヒットに影響され、「コミカルなロボットもの」を考えた賜物なんでしょうねえ。ロボダッチは、タカラから合金玩具まで出てたし。だからポピーの超合金のCMに、「類似品にご注意下さい」と言う親向けの一文が入ったのだろうが。……って、昭和50年頃のキャラクターものや玩具の事情を知らなければ、なんの事やらさっぱり分からん話だな。「まずはググれ。話はそれからだ」と言い切るには、今の検索結果は、あまりに薄ら寒いし。延々こんな話をしていたのは、題名のとおり「模倣は悪い事か?」と言う問いかけをしたかったからだ。ボスボロットだいにしてもロボダッチにしても、物心つくかつかないかのオレや、もうちょっと上の年齢の子どもたちは、前述の大人の事情なんか知らず楽しんでいたし。それに、「ひとりで真似ればパクリだが、みんなで真似ればジャンルです」と、とり・みきも言っていた事だし。あとオレはオリジナリティと言ったものに対し、みんなあまりに幻想を抱きすぎなのではと思っているのでね。

 オリジナリティに対する幻想だが、「他人に影響されるのはいやだから、他人の作品は見ない」と言う創作している人に顕著だ。いや、私らそんなオリジナリティの泉やおまへんで。オレも「他人に影響されるのはいやだ」と考えていた時期があったが、それでは何も作り得ないと知った時のショックたるや! そこから這い上がれる者が、創作の世界に入れるのかも知れない。

 少し前からオレは、オリジナリティと言うものは「すぐれたパッチワーク」でもあると思っている。そのまま人様の作品をパクっちゃ問題だが、広くいろんな分野からいただきを出来るのがオリジナリティに繋がるのではないかと……。荒木飛呂彦なんかすげえぞ、ジョジョ第1部の名台詞「北風が、バイキングを作った」とか「LUCK(幸運)」と「PLUCK(勇気)」の掛け言葉とか「ノミは自分より大きなものに飛びかかるが、ノミのそれは勇気とは言えない」あたりは、『D.カーネギー名言集』と言う本が元ネタだったし。オレが少し前述の本を読んで見つけたんだ、探せばもっとあるだろ。たぶん荒木飛呂彦は、他のところからもいろいろいただきをしているだろう。それが悪いとは思いませんよ、さっきも言ったけどそう言う行為がオリジナリティに繋がるのだから。なんでこんな話をつらつらしているのかと言うと、オリジナリティへの幻想について語りたいと思ったのと、(引っかかった宗教のせいで)「俗世の他人に影響されてはならない」と思ってしまい前述の体たらくになったオレ自身への挽歌にしたいと思ったのとで。