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克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

『ウルトラマンは時代を映す鏡だ!』メモ

 半年くらい前に、『ウルトラマンは時代を映す鏡だ!』と言う本を読んで、感想を書こうとして上手く行かなかった。

 感想のために書き出したメモを、以下に書き写す。

・60年代(初代マン・ウルトラセブン)の項目には、特におかしなところはないように思えた。逆に言えば既出の話が中心だったような気も。

・66ページ。キングザウルスIII世との対決のエピソードを受けて「冷静に考えれば、そもそもウルトラマンは飛べるのだからジャンプ力を鍛える必要はない」確かに。ただその後「しかし、作劇上は郷が鍛えることに意味があったのだ」「郷が人間として最大限努力した時こそジャックは応えてくれる」と続く。しかし流星キック絡みの矛盾って、スポ根に見られる体育会系の非合理が劇中に現れたと考えるべきじゃないか?と思う。

・84〜85ページ。カウラの話に出て来たヒッピーについて触れ、「通常、ウルトラシリーズのような子供向けのコンテンツでは、こうした子供に悪影響を及ぼす可能性があるカウンターカルチャーを扱わないことが多い。にもかかわらず、扱われているということは、子供たちが認知するほど一般化していたとも言えるだろう」カウンターカルチャー云々と言うなら、サンダーマスクのシンナーマンの話はどうなりますか?あと、魔人ハンターミツルギの主人公のミツルギ三兄妹は時代劇なのにヒッピー風の格好してましたが(当時の児童誌か何かに「ヒッピーのおにいさんのような」格好と書かれていたと言う記述をどっかで見たが、立ち読みだったか買った本だったか忘れた)。ウルトラシリーズ以外の作品でも扱われている事を考えると、ヒッピーはこの本の作者が考えるより定着していた(すぐ廃れたけど)のではなかろうか?

・91ページ。「怪獣を塩漬けにして倒す」とあるが、塩漬けにされた怪獣モットクレロンはサイズが縮んで宇宙に帰されただけで倒されたわけではない。

・全体の印象として60〜70年代に比べて時代や取り扱っている作品の歴史的価値とか評価の定まっていない90年代以降が、映しているとする時代の姿の焦点を絞り切れてないためか駆け足気味の紹介になっている気がする。

・時代を映す鏡としてのウルトラシリーズについて言及されていても、時代を生きた人間(スタッフやキャストに限らない)が見えて来ないため、言説が居心地の悪い物になっているような。

・230ページ。ウルトラマンメビウスを「ゆとり世代」や「恵まれ過ぎな現代の子供」に絡めていたが、どうも違和感があった。オレが「ゆとり世代」や「恵まれ過ぎな現代の子供」と言う言説に、否定的だからかも知れないが。

・247ページ。ツンデレの用法が間違っていると思うのは、オレだけか?