走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

オレのマンガ道つやつやぷう編その4

a-katu.hatenablog.com

 来年3月の「創作同人電子書籍」いっせい配信に向けて、9月のコロナ罹患から中断していた『爆烈戦隊チャレンジャーズ』5話目の執筆を再開している。とは言え、この記事を書いてる現在、ネームすら出来上がってないのだが……。10月の広島コミケにおける少年サンデー出張編集部で言われた、主人公側の関係性やキャラの掘り下げの強化は、残念ながら6話以降になりそうだけど。とは言え、短いページであれもこれも描けねえ。サルまんの相原・竹熊コンビのように「どうすればいいんだ……?」と頭を抱えているが、とにもかくにも5話を完成させんと……。

 んで、チャレンジャーズに限らず、いろいろマンガを描いて思った事がある。以前、ある人がオレに「マンガと文章と映像作品では、それぞれ表現出来るものが違う」と言ったのだが、それは「台詞」と言うものの扱いだけでも感じる。マンガはページ数の兼ね合いなどもあって、映像作品のような長回しの台詞と相性がよくないのよ。一方で『映像研には手を出すな!』の大童澄瞳氏は、台詞を短くすればするだけ読者の読解の負担は上がるみたく言っていたけども……。どちらも映像作品の台詞は耳で聴くのに対し、マンガの場合は目で追う必要がある事に由来しそう。え? 「映像作品の字幕はどうなるんだ」って? ……それは忘れていた。それでも映像作品の台詞回しは、意外とマンガに落とし込むのが難しいのを身に沁みて感じているけど。マンガにはマンガなりの、台詞回しが必要なんだよ……。

 「マンガと文章と映像作品では、それぞれ表現出来るものが違う」件についてはおいといて、もうひとつ。前にも言ったかもだけど、マンガ描くのは「時間との戦い」でもある。オレは何度も敗れてるが……って、そんな話じゃない。仮に「無限に時間を使って描いたマンガ」があったとして、読者がそれを読めるのか? いろんな意味でと言う疑問が出たら、時間との戦いがより切実に感じられて。作者も読者も、時間は有限だし。だから拙作を読んでくれた人は、オレにとって非常にありがたい存在なのではとも。向こうがオレのために、時間を割いてくれたのだから……。

 なんかガラにもない事を書いてしまった感はあるな、チャレンジャーズ5話の執筆再開しよう……。

(続く)