走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

今なお引きずる桎梏(しっこく)

 むかし、えんどコイチが少年ジャンプの増刊に描いたマンガの描き方マンガで「美少女キャラは誰でも描くから、別に描けても偉くないぞ」と嫌味臭い事を言っていたのを思い出して以来、げんなりしていて。えんどコイチの発言そのものよりも、その言葉などに尻込みして美少女キャラ絵を描くのが大幅に遅れた自分自身に対し、げんなりしているのだ! 自分の好きなものや、やりたい事を否定する言葉に怖気づいてしまうのは、家族からの虐待などで「自分がない」状態が結構長く続いていたからだ。それがないか、30年以上前に嫌な言葉を「ひどいね、ひどいね君」と言い合える相手がいたりすれば、思春期にいらん苦悩をせんで済んだし、それが今も桎梏(しっこく)……手かせ足かせ……にならずにいられたろうに。言っても仕方ないから、桎梏を振りほどいて今を生きるしかないが、それが難しい……。

 家族からの虐待のせいで、オレは自分を否定する言葉に引っ張られる悪い癖が付き、前述のえんどコイチの言葉ごときにもやられる程の弱い人間になった。ハッキリ言って、家族から「お前が自分で決めて、一度でも正しかった事があったか!」とまで言われて人格否定をされなければ、えんどコイチにもファミ通にも、世間そのものにも怯えないで生きていられたのに! ううう……。嘆いてもどうにもならんが、やっぱり悔しいなあ……。家族以外の人間関係がない時期に家族からボロクソに言われまくっていては、立つ瀬なんかないし……。ここまで自分を分析する事は出来たが、これからどうしよう? いつまでも嫌な言葉に振り回されてるわけにはいかんが、何度対策を講じても堂々巡りになってたからな。マー、嫌な言葉自体よりも、それに怖気づきやすいオレ自身の問題を克服せんといかんと気づいてこの記事を書いているんだから、一歩前進か。いや、桎梏のひとつくらいは外れたかも知れない。

 オレが思春期だった80年代後半から90年代はじめは、今以上に人の自尊心を削る言葉や態度が常態化していた時代だったけど、それでも家族の態度は異常だった気がする。