走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「怪獣を見て怪獣を描いてる」問題に通じるツイート

 このツイートからのツリーで言及されている話、成田亨が生前言っていた「今の若い人は、怪獣を見て怪獣を描いてる」と言う苦言に近いかも知れない。ことぶき氏の心配にも成田の苦言にも一理あるのだが、一方で「そうは言ってもねえ……」と言う気持ちになっているオレが……。結論から言うと、オリジナリティについては半ばあきらめてるので。オレは「現代においてオリジナリティとは、優れたパッチワークである」みたいに考えてるからなあ、いい例が荒木飛呂彦氏だ。荒木氏は「いただき」の幅がめちゃくちゃ広いから、そこからオリジナリティが生まれているので。成田も、ゲーム批評の表紙に「飛剣竜」と言うオリジナル怪獣を描いた時、同誌のインタビューで「ありものの怪獣だけ見て発想してはいけません」と述べたあと、怪獣を描くにもとにかく見聞を広める事を勧めていたし。

 成田亨を持ち出したあと、オレはサルバドール・ダリの「何も真似したくないと思う者は、何も生み出せない」と言う言葉も持ち出す。どちらも正しいからな。ところで最初に引用したツイートのツリーで言及されている、ことぶき氏の同人の大先輩の嘆きに近い言葉、広島のアニメイトアニメイトビルに移る前の頃にそこで聞いたぞ! アニメイトにいた、ある母娘連れの母親の方が「最近のアニメはどれも似たような絵ばっかり……、私が子どもの頃はもっと個性があったわ」と言ってたんですな。その時、みなもと太郎の「ある時代を経験してる時には、その時代の作品がどれも個性的に見えるのに、そこから外れた作品は何故どれも似たようなものに見えるのだろう」と言うような言葉が脳裏をよぎった。ことぶき氏の先輩が言う「バリエーションを増やす事に伴う個性の消失」とは違うかも知れないが、こう言う側面もあるんじゃないかと言う事で。

 「バリエーションを増やす事に伴う個性の消失」は、成田亨が第二期ウルトラシリーズ以降のウルトラマンのバリエーション化への苦言にも繋がる。それでもオレが「そうは言ってもねえ……」となるのは、パソコンゲーム誌の方のログインで、あるライターが「アニメ絵」に対し「あれ嫌い」と言ったあとに「アニメ絵はプロに任せて、みんなは自分にしか描けないものを描いた方がいいんじゃないかな」と言ったのを根に持ってるからだ。ログインのライターの言い種は「もっともらしいけど、もっともな事ではない」と痛感しているよ。「アニメ絵」が好きで悪いか! こんちくしょー! ……失礼しました、取り乱しました。前述のログインみたいな物言いからは、何にも生まれないと思うけど、それは今になっての結論。最初に読んだ時は、非常にとってもすごくげんなりした。「アニメ絵」から入って、自分にしか描けない何かに到達する事だってあると思うんだけどなー。だからオレは、ことぶき氏の先輩の言葉にモヤモヤしている。誰もが絵やデザインでオリジナリティあるものが出せなくても、描きたいものを描く自由は否定出来ますまい……。と言ったところで、この記事終わる。まだモヤモヤしているし、何の結論も出せてないけど。