走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

さらにオレのマンガ道その8

a-katu.hatenablog.com

 オレはむかし、絵やマンガを描く人との接点が弱すぎた。それを題材にひとくさり書いていたが、それじゃ今の「描く人」との関係はどうなるんだよと、急遽思い直して書き直しをはじめた。とは言え、むかし家族から「描く事」を悪し様に言われて凹むなどして、スタートダッシュが遅れたのは悔やまれるが。いや、その辺の「たられば」とて欲なんだろう。「もっと早く絵やマンガを描いていれば、より高みに行けたはずだ」と言う……。言ってどうにもならん事だが、言いたくもなるぜ。そこが人情ってもんよ。それに、1990年頃から数年と、2000年代前半の数年の間は絵やマンガを描く人との接点が強く、いろいろ面白かったのもあって……。いずれもオレの健康状態や家庭環境の悪化などで、その接点を失くしてしまったけど。だから「スタートダッシュが遅れた」事を悔やんでいたのよ! ちくしょーっ! ……泣き言はさておき、絵やマンガを描く人との接点は今もあって。なかせよしみid:y_nakase)さんの「創作同人電子書籍」いっせい配信企画に参加して、なかせさんなどと知遇を得たり、サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)に通ったり……。それらを大切にして、描き続ければいい気はする。それでも不安になるんだから、オレと言う男もつくづく……。マー、世間と言う残酷極まるものに、何度も足を掬われたらねえ……。あと、不安がなければ、こんな記事書いてねえよ。と言っていても、オレが面白くないので、次の段落から話を替える事にした。

 1990年頃から数年、主にゲーメストの同人誌紹介欄を介して、人様の同人誌に寄稿していた。それを思い出した時「しかしオレがしゃしゃり出て寄稿した事はあっても、誰かが三顧の礼を持って寄稿を頼んだ事はなかったな」としょげたけど、もともとゲーメストでゲスト原稿募集していたところに寄稿したんだから、門戸はオレにも開いてたんだと思い直し、落ち込みを食い止めた。「なんで自分で作らなかったの」と言われそうだが、当時はオレに印刷所を使った同人誌作りのノウハウがなかったんじゃ。のちに90年代後半から2005年頃までの間に、散発的に印刷所を使った同人誌*1を出してはいたが……。そう、オレが最初に「絵やマンガを描く人との接点が弱すぎた」のを嘆いていたのは、まさに描く事や同人誌作りなどのノウハウが得られなかった事もある。そりゃ、むかしだって「マンガの描き方」の教本や同人誌制作マニュアルはあったけど、実際に人付き合いから学ぶものも大きかったので。接点が弱いなりに、学んではいたのよ。それとオレが「描く事」にこだわっているのは、そこから人と交流するのが楽しいからだろうな。要は何度かオレが言ってる「絵を通して社会と繋がりたい」って話に帰結するが。次回、そこに触れる。

(続く)

*1:むかし風に言えばオフセット本。