貧乏な中から生活投資資金をヒネり出すの、究極的には「娯楽の確保」が最も難しく、油断するとパチンコとかソシャゲに引き込まれるんですよね。「図書館とコーヒーが水筒1本あれば一日最高になれる」みたいな能力を持ってる人はこの辺強いです。娯楽も訓練で身に着けるものなので…。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2022年3月13日
「ギター1本あれば一日遊んでいられる」人とかもめちゃめちゃ強い。「楽しい」には「訓練がいる」んですよね。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2022年3月13日
上記ふたつのツイート、オレにはとても沁みる。ならば「能動的な娯楽」としての絵描きに、若いうちからもっと真摯だったらと思えて。周囲の無理解などで、気後れしていた時期があったものなあ。マー、絵描きをして行くうちに「やっぱり、自宅と仕事場とパチンコ屋だけをぐるぐる回ってるようじゃダメだね」と言う確信も得たけど。どう言う事かって? 生前の親父などの反面教師を見ていて、そう思ったんですよ。一方で「楽しむ訓練」の出来ていない連中に引きずられて「描く事」にどっちつかずだった過去の自分にも、腹が立つけど……。あまり過去の自分を責めるもんじゃないが、自分が底辺から抜け出そうとするのが遅れた後悔ってのはまだあって。
いくら言っても過去はどうしようもないし、未来にも大きな期待は出来ん。だが、これで「描く事」さえあきらめたら、それこそどうにもならん。発表のアテがあるうちは、描いていくしかねえわなあ。前述の「あまり過去の自分を責めるもんじゃない」と言う考えも、描ける環境があるから生まれたものなんだし。
確かに絵やマンガを「描き続ける」事は結構ランニングコストかかるけど、無為にパチンコで損するよりは遥かにましだ。オレは強くそう思う。前述の親父はじめとした反面教師を見ていると、ね。たとえば、親父がパチンコに負ける度に八つ当たりされちゃあ……。親父の事を言えば言うほど、過去の自分に対する自己嫌悪と自己憐憫がない交ぜになった感情が強くなるわ。もうちょっと、自分の味方をするしかねえ。それに、あまり「描いてない、描いてない」と自己嫌悪するのもな。今まで描けた作品に対し、失礼だそれは。