パオロ・マッツァリーノさんは上記ブログ記事で「今は悪を描きづらい時代です」と言ったが、それは下記ツイートで述べられたことも関係しているかも知れない。
創作物から好ましくない表現を排するのは、大切な誰かに『これは悪いことです。あなたもそう思ったなら、決してそれをしてはいけません。これは悪い見本です』と教える機会が現実以外になくなってしまうっていうことです。想像するだけでこわい…無理…
— 佐々木亮(ささりょー) (@sasaryou) 2021年9月27日
ささりょーさんの言う「悪い見本」が、いろんな意味で成立しづらい事と、悪の目的などが描きづらい事はセットなんじゃないかと……。と言うか、パオロさんの指摘で、オレもまた悪を創作物において描く事をある意味ネグっていたのに気づいたから、これ以上は上手く言えんのだよ。自分も悪……と言うか嫌なもの……を描写する事から逃げていたとなれば、あまり偉そうにもな。そうなったのにも、それなりに理由があって。たとえば、オレが露悪が嫌いとか。そのあまり「悪い見本」も描けなくなっていたとは。この世に「悪い見本」はあふれているが、それを創作物において、より悪魔化する作業に耐えられないのは感じていたけど。
さて、これからどうしよう? 悪い奴を出す必要があるマンガを描けないとなると、いろいろ困る。たとえば『爆烈戦隊チャレンジャーズ』の続きが描けんがな! 嗚呼。この話、もうちょっと掘り下げたいところだが、今のオレの頭じゃようまとめんので、このあたりにしておく。