こんな題名だが、ポプテピピックの話をするわけではない。オレへのアンチの話をね。
ところで、むかしオレに粘着してる奴がいて、そいつはある同人ダウンロード販売サイトの、オレの作品を買わなければ書き込めないコメント欄にまで陰険なコメントをして来た。そんな金があるなら、それで旨いものでも買って食えよと思った……。この話をある人にしたら、相手の執念に引いていたぞ!
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年6月29日
なんで粘着してる奴がいると思ったのかって? むかしオレにいちいち文句を言ってくるコメントを掲示板だブログのコメント欄だに投げつけて来る奴がいて、リモートホストから同一人物の犯行だと感づいたのよ。正直、他にする事なかったんかねえ、そいつは。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年6月29日
そいつは2008年頃から姿を消したけど、今にしてみれば哀れとしか。さいとうなおき氏の『うまく描くの禁止』と言う本には、アンチ発言の傾向を分類していたが、その中の「愉快犯」だったんでしょうねえ。オレも絵を描いてなかったら、愉快犯だったかも知れん。ぞっとする話だ。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年6月29日
しかしながら、オレがアンチに粘着される覚えが、まるでない。上記ツイートで挙げた『うまく描くの禁止』と言う本では、アンチ発言の傾向として愉快犯だけでなく「正当化」「嫉妬」も挙げていたけど、どちらも言われる覚えはない。一番有力なのは愉快犯の線だが、それでも解せない。オレがアンチに絡まれていたのは、2002年から2008年ぐらいまで。6年間粘着されていたとなると、これは怖いぞ。上記ツイートでも言ったけど、人に話しても引くくらいの執念だ。オレも執念深い性格だとは思ってたが、こう言う奴にはかなわん。真似したくない執念だがな。
粘着される覚えがないにしても、されていた当時はかなりきつかった。相手の言いがかりに根拠がないにしても、アンチのコメントを消すのが面倒だったので。うっかりこっちが絡んだ事もあったし。当時アンチは反応すると喜ぶと言う事を知らず、つい。なんでこんな話をするのかと言うと、アンチや2ちゃんねるの有象無象にボロクソ言われたのが、今になってこたえてるからだ。あの頃がフラッシュバックすると、どうにも楽しく絵が描けん。おまけに、生きるのも辛くなる。むかしにも楽しかった事はあったはずなのに、最近思い出すのはこんな事が多い。アンチにしてやられたと言う事か?