こないだ、こんなツイートをした。
中学時代、同級生どもからオレの言ってる事を「聞こえんな~!」と北斗の拳の敵の真似して聞かないいじめを受けた。だけど北斗の拳を発禁にしたところで、いじめをした奴らが改心するか? だからオレは「ひとりでも不快に思った表現はダメ」的な考えに反対する。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年5月26日
「自分の都合のいいように表現を受け取る」者は「ああ言うな、これを描くな」では、どうにもならない気がするんだが……。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年5月26日
もうちょっとこの話を深掘りするけど、仮にオレが不快に思ったからって北斗の拳を発禁にされても、嬉しくともなんともない! むしろオレを表現規制のダシにすんなと言いたくなる。だいたい、マンガを規制しても、ふたつ目のツイートに書いた「自分の都合のいいように表現を受け取る(あるいは使う)」者がいなくなりやせんし。実は中学時代、平家物語の一節から「あっぱれ大将軍(たいしょうぐん)や」と言って、これまたマトモに話を聞かないいじめを受けてもいたんだ。繰り返すが、マンガであれ古典であれ、自分の都合のいいように扱う者は表現規制でいなくなるもんじゃねえんだ……。とまで書いて放置していたが、最近精神的に参っていて書き物どころじゃないけど、強引に話を進める事にした。「自分の都合のいいように表現を受け取る(あるいは使う)」者は、表現規制したい者にも反対する者にもいる。オレにもそう言うところがないとは言えない。人間の論理バグかも知れんからな、それは。しかしもうちょっと理性的になれやしませんか、皆さん。と、書いて急にこの記事終わる。もう当分、表現規制について言及したくねえ……。それで今どう思ってるかを整理して書いて、しばらくこの件については沈黙するつもりだったが、今や整理すらおぼつかん。ちくしょう。