上記記事のヘイト街宣じいさんの死に「ざまあみろ」と言う感情は湧かず、題名にある言葉が先に出た。特に、このじいさんがヘイトを向けていた対象である在日コリアンのひとりが和解の道を探ろうと言っていたのに、突っぱねたところが。そうまでして、結果が孤独死ですか……。んで、オレはこんなブコメをはてブにした。
何重にも痛ましい話だが、こないだツイッターで見た「恐怖による支配には賞味期限がある」と言うツイートも、同時に思い出した。
そのツイートは、下記のとおり。
20代までは喧嘩が強い上に冷酷で、他人を恐怖で支配していた人間がいたけど、いつの間にか周りから人が離れていき、痴漢や窃盗、覚醒剤などで捕まって孤立していった。先日、久しぶりに繁華街で見かけて話したけど、私の目も見られずに逃げるように立ち去っていった。恐怖による支配には賞味期限がある
— 草下シンヤ/作家&編集者 (@kusakashinya) 2021年3月25日
見たはいいが、いいねしてなかったので、URL埋め込みになったけど。さておき、他人を恐怖で支配しようとしたり恫喝したりしても、得られるものなんて意外とないのかも知れん。とは言え、こう言うじいさんを支えていたものには日本の大衆の保守性もあるからなあ……。難しいところだ。ひるがえって、オレ自身の問題になるが、上記引用記事と引用ツイートを見て、若い頃に恐怖でオレを支配していた連中に同じ事をして復讐したいと思っていたのがバカバカしくなって来た。そんな事をしても得られるものがないなら、尚更だ。