走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

それに気づいても、言葉に出来ない者もおる……

wagahaji.hatenablog.com

 上記引用記事にある「何者かになれなくても、何かしらは作れる」と言う言葉に大いに同意する。と、同時に「オレはそこに気づいても、言葉に出来なかったんだなあ……」とも。今も何かしらを作れんものかとあれこれやっているけれど、まだ納得いってない。その前に家族から創作についての呪いをかけられて、それに苦しみながらやって来たが呪いが解ける気配がない……。ちくしょう。

 繰り返すが、オレが何かしらを作る事に対し、家族はいい顔をしなかった。その上、呪詛をさんざん浴びせて来たし。それをいちいち書く気にはなれんけど、呪詛に対し自分が弱すぎたのが悔やまれる。ところで、前の段落で「今も何かしらを作れんものかとあれこれやっているけれど、まだ納得いってない」と書いたが、創作者は納得なんか出来ないまま創作を続けるものなのかもとも。そもそも、オレは何をもって納得としてるんだよ。そこは今は考えない、考えようがないかも知れないが。

 「何者かになれなくても、何かしらは作れる」件だが、人は記録の出来る生き物である。創作に必要な絵にしろ文章にしろ、記録のために生まれたものだ。してみると創作のスキルとは、記録のスキルでもあるのだろう。だから「何者かになれなくても、何かしらは作れる」んだろうし、話を広げれば創作を恐れる者もいるのかも知れない。記録は全ての者にとって、都合のいいものとは限らんからな。と言って、この記事終わる。実はオレが何故「何者かになれなくても、何かしらは作れる」事に気づいても、それを言葉に出来んかったのかについて書きたかったけど、おそらく家族の目に負けたからだろうし、掘り下げるのも辛くなって来たのでダメに。トホホ。