走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

学校にいるもの、いらないもの

 『独学大全』に触発され中一の数学をやり直して思ったのは、学校と言う場のありがたみである。ああ言う場で「よーいドン」と学習をはじめるってのは、意外と自分の身になるもので……。だが、同時に今の学校にはいらないものも多い。無意味な校則とか、無体に児童・生徒を拘束する形の部活とか、スクールカーストとか、いじめとか。前者ふたつと後者ふたつは存在する原因も対策も違うが、オレには「勉強するため」の妨げとしては同一に見えるので。

 特にいじめをどうにかせんと、オレみたいなひねくれ者が後を絶たない事になってしまう……。いじめる奴はいい気持ちかも知れんが、いじめられる方はたまらんぞ。ここでそこを言ってもどうにもならない気はするが、言いたくなるわさ。いじめられずに勉強すると、こうまで頭に入るのかと気づいてしまっては。だからこんな記事を書いているんだけど、オレの人生ではあとの祭りっぽいところもある。ちくしょう。マー、自分が無理せず出来る事で、一番気が落ち着くのが勉強だと思ったから少しずつ勉強して行く事にしたので、焦る必要はないか。出来る事なら高校卒業認定が取れれば御の字だけど、今のペースで出来るんかいなとも。

 オレ自身の事はさておき、学校と言う場についてだ。あれは今なおブラックボックスだから、アホな教師もいじめもはびこるのだ。ただねえ……、外部の目や声が入ると言うのは、トンデモだのオカルトだのが今以上に教育現場に入り込みやすくなると言う事でもあるのよね。オレがここに気づくくらいだ、もっと頭がいい連中はとっくに気づいてるだろ。だからと言って、現状に降参せよと言いたくはない。それじゃまるっきり無意味じゃないですか!? と言うか、このブログで問題提起して、納得行くまで意見交換出来た事って、最近あったか? うーむ……。

 しかしマイペースにやってる独学と違って、学校だと教科ごとにやる事があって、それぞれに時間がかかる。そのための時間を授業と言う形で捻出したり、帰宅して予習復習に宿題……。塾と言うものを考えないとしても、中学時代の時間はあるようでなかったのね。「働いて遊べ、それが浮世ぢゃ」と言う言葉もあるが、オレはあの頃遊びすぎたのかも知れん。その癖、教師から「なんでそんな事知っているんだ……」と絶句される事もしばしばだから、ギャグマンガのボケ役そのままである。タイムトラベルで中学時代のオレに会えたとしても、ガラにもない説教ばかりしそうだな、オレ。小学校の時に「いくら勉強しても、将来は土方か職工だろうから、勉強する意味が分からない」とあきらめたのがケチのつきはじめだった*1としても、もう少しなんとかならんかったものか。いや、中学時代に受けたいじめこそ、学校や人間に対する不信を植え付け強化させるに充分なものであった! だから学校にいじめはいらんと……。

*1:実際、諸事情で高校には行けなかった。