走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

あれはいたずら大好きな、シンセサイザーの独り言

 『ミスター・シンセサイザー』は、タモリだけじゃなく水木一郎も歌ってたのを、つい最近知った。歌詞は水木一郎版の方が分かりやすいが、この話は本題とまるで関係ない。単に題名を決めかねていただけだ。

 それにしても、だ。むかしからオレが面白いと思っている事と、世間とのそれが噛み合わんのをヒシヒシと感じていたが、最近ますます孤立が深まっている気がして。そう思うにはいろいろ理由があるんだが、一番大きいのはコロナウイルスによる逼塞(ひっそく)を余儀なくされた事だ。逼塞と言うくらいだから用が出来れば外出もやむないんだが、ひとりでいる時間が長くなれば孤立を味わうわけで。孤立の中、自分が面白いと思う事をどう打ち出すか悩んでいると、前述の「世間との噛み合わなさ」も考えてしまう。オレは古いオタクだが、最近のオタク向け作品の動向を知らんせいか、後述する別の理由からか、オタクとしても孤立している。そのため、肝心の消化吸収が阻まれていたのです。サン・クロレラAはこの命題に取り組み、クロレラの壁を破る事に成功しました……じゃなくて! ほら、こういうところが、世間と噛み合わないと。話を戻して、オタクとして孤立しているもうひとつの理由に、世の中への見方もオタクの主流のそれと外れてるからではと思ったが、そう言えるほどオタクの主流を知ってるのかと言う気がして来た。オタクとしてどうこうじゃなく、孤立の原因はオレの人間不信ではないかとも。むかしから他人に酷い目に遭わされたり、自分のやってることに自信がなかったりしては、人間不信も深まると言うもの。そこに来て、コロナウイルスにより逼塞せねばならん事態だ。人との繋がりが薄れて、自分のセンスやらなんやらのズレを思い知る時が多くなってなあ。だからと言って黙っていると、ますます孤立してしまう。どうすれば。

 と、書いて放置していたら、ツイッターで挙げた絵が少しずつ見てもらえるようになって来た。センスがズレていたわけじゃなさそうで。とは言え、ツイッターよりpixivで挙げた方が、閲覧者は多いみたいだが。マー、18禁アカウントの方のフォロワーが6人しかおらんなら、そりゃ。フォロワー、どう増やせばいいかも分からんしねえ。しかし、コロナウイルスがどうにかならんことには、それどころでもないかも知れん。と言うか、オレがコロナウイルスで死んだら、蜀山人こと大田南畝の辞世*1とされる「今までは人の事だと思うたに おれが死ぬとはこいつはたまらん」そのままな人生の終わり方やんけ。冗談じゃねえ、オレはまだまだ生きるんでえっ!

*1:ふたつ説がある。