走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

おおおおお~! おおおおお~! おおおおお~! おおおおお~!

 ああ、性的なさみしさが、またぶり返して来た。「そんなことを言って……、おてまえいくつでござるか」と、自分にツッコミを入れてもどうにもならない。ある種の愛情に飢えてるのは事実なんだしな。とか書いていたら泣けて来た。このまま社会の荒廃に飲み込まれ、ひとりで死んで行くのかと思うと……。おまけに最近ひとりで出そうとしても、なかなか出てくれないし。あと、この話題は答えが出ないのよ。オレがさみしがり屋の癖に、ひとりでいる事を選択しちまった時点で。自分のさみしさを自覚しだしたのは、この1~2年。いろいろあってセルフネグレクトが少し治ってからだ。それまでは孤独死への不安*1はあったが、恋愛も性愛もあきらめていた。しかし社会との接点が増えたため、急に孤立を思い知り、性的なさみしさまでぶり返したのだ。なんてこった! スピナッヂ! それは関係ないんだっ! 話を「さみしがり屋の癖に、ひとりでいる事を選択しちまった」事に戻そう。そうなった理由については、今は言いますまい。書く気力がないので。ひとつだけ言えば、女性関係に疲れたのが大きい。いや、人生に希望が見出せず、捨て鉢になったばっかりに「ひとりになっちまった」のかも知れん。いずれにせよ、選択ミスではあった。一方で、人生も世の中も一寸先は闇だから、どうにもならないところはあると言う諦念も。去年はまだよかった状況が、コロナウイルス絡みの混乱であれこれ吹っ飛んじまったら、そうも言いたくなるわい。

 そうでなくても最近起きたら、ちんこ握りしめてばっかりですよ。そんなにさみしいのか、いい年こいて。さみしいんだが。

*1:これは、オレの死体や遺品の片付け役もおらんのかいなと言う悲しさによるものなんだが。