走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

おおっ、おーっ! おおっ、おーっ! おおおおお~!

 経済的な理由などで、ひたすら自分の性的なさみしさと向かい合わなかったツケが、今になってこたえて……。さりとて今さら宗教的な禁欲を課しても、より不幸になるだけだ。と言うか、宗教はこりごりだ! 宗教に引っかかったばっかりに、思春期を損したし。あーそこ、「損!」とか言いつつ笑わない笑わない。あんたは点取満太郎か? ……何度目だ、このギャグ。思春期に恋愛*1を封じたせいで、女性との付き合いがド下手くそになり、それでしくじった事もあって現実の女性が怖いところが出来た。それが今、オレを苦しめている。性的なさみしさを埋めるために、その手の店に行こうとしても怖くなるのは、ぼったくられたらどうしようと言う怖さだけではないのだ。現実の女性からはとことん嫌われているような、そんな気がして*2なあ。二次元……と言うかオタク趣味に耽溺していたのは関係あるまい、きょうび「オタップル」だって珍しくないんだし。オレがゲーセンを通して知り合った、30年来の友人だって彼女いるんだしさあ。「無理に恋愛しなくてもいい」とか「相手の人格を認めず、競争のトロフィーとして求めるくらいなら、恋愛から降りるべきだ」とか思っていたが、問題はその先だ。前にも書いたが、恋愛から降りてどう生きるかをまるで考えてなかった! 紙と鉛筆で絵を描くのを除いてオタク趣味も結構金がかかるし、それ以外の趣味……たとえばスポーツ……は尚さらだ。だいたい左ひざを悪くしてるから、スポーツどころじゃねえ。さておき、オレは恋愛から降りてどう生きるか考えてなかったため、性的なさみしさを感じた時余計に辛い。恋愛と性的なさみしさの埋め合わせは別なところがあるが、ある種の孤独に耐えられない点で、たいして違わん。

 あと、オレが楽しみや人との交わりを避けていたのも大きい。世の中に、何より自分自身に嫌気がさしていたから、そうなったのだけど。人や楽しみを避けていた理由は、簡単には説明出来ない。言えば言うほど、自分でもこんがらがるし。話を、「恋愛から降りてどう生きるかをまるで考えてなかった」点に戻そう。ネットで人と「内面的なプラグ」を繋いだかのように錯覚していた頃は、さみしさとかあまり感じてなかったが、ネットだけではどうにもならない事を認識したら、自分の身の振り方を考えてなかったのがこたえてなあ。その日暮らしみたいなもんだから、将来を考えたくなかったのもあるけどな。がっくり三太郎……。長年の逆境でつちかわれた世の中への絶望も、「恋愛から降りてどう生きるかをまるで考えてなかった」点に繋がるけど、ますます話がこんがらがるので、あまり触れたくない。……いかん、こんな話書いていたら、また「1988年に死んでいれば、こうも苦しんで生きる事もなかったろうに」と言う、いやな考えになって来た。これではダメだ。自己肯定感があまりに低いため、悩み出したらすぐ死を選ぼうとする! そこを振り切らんと。

*1:確かに、それは性愛と必ずしもイコールではないが……。

*2:この頃会えば話す女性も増えて来たから、杞憂かも知れんけど、怖いもんは怖い。