そういや美大予備校に通ってたころ、浪人生が通う中間部に60過ぎのお爺さんが入学してきたな。定年でもう仕事やめたんだけど、実は東京藝大にずーっと憧れてて、1年だけでいいから藝大受験に挑戦してみたいって言って、18とか20歳の若い子にまじって1年間、毎日6〜9時間絵を描いてた。
— 鈴木健也 (@suzuki_kenya) 2019年6月3日
雰囲気の良い予備校だったし、わりとお爺さんもすぐ馴染んで皆と仲良くしてた。あと歳が一番近い学院長ともよく話してたな。そんで1年勉強して、藝大受けたんだけど一次で落ちて、期限も決めてたし挑戦できたんで悔いはありませんって言って、そこで辞めていった。これ自体は良い話だと思うんだけど→
— 鈴木健也 (@suzuki_kenya) 2019年6月3日
若い頃に、やりたいけど出来なかったことって、そこから40年以上過ぎて、仕事も終わってあとは余生ってタイミングになってもまだ残っているんだな、と。かなり強烈な呪いになることは心に留めておいた方がいいかもしれない。その人はたまたま定年後にお金も時間も健康もあったから挑戦できたけどね。
— 鈴木健也 (@suzuki_kenya) 2019年6月3日
オレも似たようなものかも知れんわい、いや他人事ではない! オレは金も健康もないし、時間だってあるかどうか分からないが。やりたくてもやれなかった事への悔いは残り続けると言うのも同意、よく考えたらオレは宗教を離れたら、家族の「あれ取れ、これ取れ」「ああしろ、こうしろ」「あれ買って来い、これ買って来い」ばかりやって来たような……。あまりに酷かったのか、兄貴の友人が一度「お前、兄貴にいろいろやらされて、おかしいとは思わないのか!?」と言って来た事が。そう思っていても、言うに言えなかったけどにゃー。マー、そんなわけで、今もイジイジ絵を描いている。描くのは自己満足でしかないと思っていたが、転機が訪れそうな。まだ分からん事が多いが、上手くいけばやりたくてもやれなかった思いへの供養になるかも知れない。上記ツイートに出てきた、還暦すぎた方の藝大受験のように。
それにしても、だ。「若い頃にもっと絵やマンガを描いていれば……」と、しょっちゅう嘆いていたが、それは「上手い」絵やマンガを描いていればと言う欲なんじゃないかと言う気もしてきた。いや、マンガ家になりたいと思いながら、作品を描かなかったのは事実だ。繰り返し書きたくないくらい、いろいろあって。かえすがえすも残念だ、なぜもっと作品を描かなかった! オレを取り巻く状況が悪すぎたのも大きいが、どうにも悔やまれる。だから今、いろいろ動いているんじゃねえかよ。どうなるかはまだ、分からんけど。