走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

負けても人生は続く

 『いだてん』でも取り上げられた金栗四三の生涯は、「人生、負けても続くもんだし、むしろ負けてからが本番の場合もある」と思わせるに充分な内容だ。たぶん宮藤官九郎は、それを意識して『いだてん』の脚本書いてるんじゃないかな。もうひとりの『いだてん』の主人公である田畑政治もまた、挫折から人生がはじまったような人だし。

 「人生、負けても続くもんだし、むしろ負けてからが本番の場合もある」と言うのは、悪しき新自由主義によって生まれた「勝たなければ意味がない」と言う点のいびつな強調とは逆の考え方である。悪しき新自由主義がどうたら言い出したから、また『カイジ』をdisるんだろうと閲覧者に思われそうだが、今日と言うか、この記事ではそんな気になれない。これからちょっと、オレ自身の話をしたいので。オレは広島市内で障害者向けのイラスト講習を受けるようになってから、自分の人生が負けや挫折の連続だったけど、これからは違うかも知れないと思えるように。だから、「人生、負けても続くもんだし、むしろ負けてからが本番の場合もある」と言う考えが出て来たわけです。そう考えると、『カイジ』に言いたい事があっても、ネットで言っているヒマはないのだ。それはさておき、負けても人生は続くのだが、オレは自分の人生が許せなかったところもあった。何度も言うようだが、家族や宗教の圧力に抗いきれなかったし、前述のとおり負けや挫折の連続だったし。しかしながら、もしかしたら今度こそ「絵を通して社会と繋がりたい」願望がかなうかも知れない。そう言う期待が膨らんで来て、気持ちが落ち着くように。人は*1なんらかの形で承認されなければ、際限なく捨て鉢になるものかも。オレのこの数年の生きざまを顧みるに、そんな気がして。

 イラスト講習やらなんやらも、この先どうなるかまだ分からない。だが、この数年では一番充実感のある日々になって来た。ヤハリ描き続けていたのが正解だったか、あきらめきれずに絵を描き続けていたら、ひょうたんから駒だったし。と、言ったところで下記のツイートを見ていただきたい。


 オレより年上で絵を描き続けている方や、40代でマンガ家デビューした方がいた! 前者は結構いるし、後者もジャンル問わず探せばまだいそうだが、なんかこう励みになる。と言うか、出版社が若い連中を青田買いして育てる事を放棄しつつあるから、30~40代デビューは珍しい事じゃなくなるかもな。イラスト講習を受けてなかったら、「あんたらとオレとは違うわよ」と、後ろ向きな受けとり方をしていたかも知れんけど。オレにまだマンガ家デビューの出目があると言っているんじゃなく、絵を描き続ける意義がありそうと言うか。ただ、イラスト講習は肉体的にはキツいな。いや、本業の警備員の仕事が入らず、日雇いバイトを重ねていた時の方が今より疲弊していたし、さらに遡って、鉄工所で殺されかかった頃を思えば。これまでの作業所だって全然楽しくなかったし、憎悪や殺意を募らせる破目にもなったし。それらに比べれば今のイラスト講習はずいぶんいい話ではないか。肉体的なキツさも、通いつめれば慣れるって。

*1:あるいはオレ個人の話かも知れないが。