走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「被害者的な心情混じりのヘイト」について


 さて、上記ツイートは以前別の記事でも引用したが、この中に出て来る「被害者的な心情混じりのヘイト」について、あらためて考えてみよう。はっきり言って、こう言う手合いはむかしからいた。オレの死んだ親父とかな。親父はまさに被差別部落出身者に対する「被害者的な心情混じりのヘイト」を、オレに言っていたのだ! はっきり言って思い出したくないし、人様に聞かせたくもないが、上記ツイートに出た話とだいたい似たようなもんだとだけ。また、親父は障害者も、高齢者もバカにしていた。トホホ。

 オレの思い出話はこれくらいにして、「被害者的な心情混じりのヘイト」をする者は今にはじまった話ではないが、ネットでこうまで顕在化したり、相模原の「やまゆり園事件」みたいな大事件に繋がるとなると、背筋が薄ら寒い。むかしは聞くに耐えない話をひっそりとしていた*1のかも知れない、しかし今はネットで筒抜けなんだよ! しかもエコーチェンバーが発生して、こじらすんだよ! おまけに対抗するための常識とか人道とかが、かなり弱くなっているんだよ! ロクでもない時代だ。

 「やまゆり園事件」は、単独犯で銃器も爆弾も使わず、それらを使ったのと同じくらいの人数の殺傷をやったので、最初聞いた時現実味がなかった。しかし現実に起きた事だ。正直、「明日は我が身」と震えているよ。「被害者的な心情混じりのヘイト」をする輩の中から、第二第三の「やまゆり園事件」を起こす者が出ないとは限らんし、その時オレがターゲットになってるかも知れんと思うと……。これ以上この辺に言及すると、絶望しか出ないからこのくらいにして。

 オレが何度も口をすっぱくして言っているように、人間は「見下せて、抵抗して来ない者」に対し、いくらでも酷い事が出来る生き物だ。「被害者的な心情混じりのヘイト」だって、そこから来てる。この悪しき習慣をなんとかせんと、みんな共倒れなんと違うか……。「ヘイト」と言う言葉は引用やヘイトスピーチヘイトクライムみたいな用例の場合以外あまり使いたくないので、引用文に出てこない話では、憎悪と言いたい。てなわけで、ここからしばらく憎悪として話を進める。オレにも憎悪はあるし、それを迂闊にだだ漏れにしないよう気をつけていたつもりだったが……。どうもそうではないかも、いかんなあ。

 この記事、すっげえ重い気持ちで書いている。いくら何を言っても、人を動かせるものになりそうにないからだ。繰り返すが、「被害者的な心情混じりのヘイト」に比べて、常識とか人道とかが、あまりにも弱い……。「被害者的な心情混じりのヘイト」を剥き出しにしている連中を、片っ端からぶっ殺すしかないのか? それはダメだと言うのなら、誰か手を貸せ知恵を貸せ。いくらそう言っても、誰も協力なんかしてくれないけど、言うしかない。自分の気持ちを落ち着かせるために。

*1:オレみたいに聞かされる側は、たまったもんじゃないが。