世の中のだいたいの物は自分にとって大多数のどうでもいいものと少数の合うものと少数の合わないものとに分類されると思うんだが芸術分野ってふれ幅が大きくてその少数の合う合わないがすごく合うすごく合わないになるので合わない物は自分から避けと行かんと自分が苦しむっつーか
— 結維2/17コミティアぬ20b (@dragoonyouie) 2019年2月28日
合わないものを事前に察知する能力に難がある人は芸術分野には近寄らん方が楽に生きられると思いますがの。
— 結維2/17コミティアぬ20b (@dragoonyouie) 2019年2月28日
いささか旧聞に属するツイートだが、貼る。オレも合わないものを事前に察知する能力は高いと言えない、だもんで表現物を咀嚼出来ない時期があった。今だって新しい物語に手を出すのが怖い、だからと言って自分に合わないものを焼けとは言えんけどな。逃げ回るしかねぇ。そんなオレが自分で絵やマンガを描こうと思うのは、「ならば自分はどう表現するのか?」と言う疑問があるからなんだよな。いまだに、上手くいったと言える物を描けてないが……。
しかし、人様を「表現の自由戦士」と罵る側も、そう罵られる側も、ツイッターでは「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」を繰り広げているようでは。ツイッターから有益な情報を引き出せるのは、まれになっちまった。精神的に、論戦やらケンカやら出来る状態でもないしな。
話を、「合わないものを事前に察知する」うんぬんに戻そう。ある程度表現物に触れなければ、それが合うのか合わないのか分からないが、経験から「合わないものの類型」は察知出来る。オレもそれをガイドに、判断はしているつもりだ。上手くいかん時もあるがな。しかしこう言う事がまるで出来ない者が、山本太郎と山本一郎(切込隊長の方な)を間違えて、逆ギレ出来たりもするんじゃなかろうかと……。こないだ釣りアカに釣られたオレが、言う話じゃないかも知れんがな。
表現物が合う合わないだけど、「これが合うと言う事は、思ったよりオレは酷い奴なんじゃないか?」と言う自己嫌悪にかられる時がある。こないだもちょっとねー。……エロい話になるので、詳述は出来んがな。他にも、今は亡き惟任さんの生前、「どうしてお前はフィクションをフィクションとして楽しむ事が出来ないんだ?」と言われた事があったが、オレは意外と酷い奴で、表現規制派にも近いところがあるのかも知れない。だから自戒を込めて、表現規制に反対するんだがな。