インターネットの普及は、人間社会に素晴らしい面と愚かな面を両方を生み出した。
— 宮尾岳 (@GAKUJIRA) 2019年3月2日
その最たるものは「小さい立場の人の声が、大きく聞こえるようになった」だろう。
昔で言う【便所の落書き】
取るに足らない言葉や考えが
個人で世界中に発信出来る。
これは決して豊かなことばかりじゃない。
宮尾さんの言う事も一理ある、しかしオレは宮武外骨がまさに「便所の落書き」を、小さい立場の者の最後の武器みたいに言っていた文章を読んだ事があるので、それが引っかかっている。その文章の載っていた本はなくしてしまったため、正確な引用が出来ないが……。外骨がその文章を書いた時代は、今より言論の自由がなかった時代でもあった。だからなおのこと、外骨の言葉は重い。今もポピュリズムだー、なんだー、かんだー、カメラのドイだー、で言論が萎縮しつつあるから、インターネットを武器に個人が渡り合う必要があるんじゃないかと思っていた。しかしインターネットから、自由も個人の武器としての有用さも失われてしまってはなあ。マー、オレが悲観的すぎるのかも知れないけど。
日本的な「空気」に染まりようがないインターネットのある面は、個人がゲリラのように動くのには最適だったんだが、最近それもあやしくなって来た。インターネットが、もうひとつの「世間」になっちまったし。こっちの「世間」の「空気」と言うか、同調圧力もかなり陰湿なものになったから、うっかりすると炎上して酷い目に遭う。それを恐れてちゃ、誰も何も言えなくなってしまうけどな。「世間」の目をいかに出し抜いて、ゲリラ戦を展開するか。これは真剣に考えんと……。