ところで、下記のふたつのツイートをご覧いただきたい。
SNS(というかTwitter)がヘンにブロックとかの機能をつけたせいで本来ネット民に備わっていた「スルー力(ちから)」が衰えている気がする
— ふじーひろし (@sokohaka_fuzy) 2018年11月17日
そして、90年代からネット使ってた人でも「自分にとって不快な意見」が少数派の意見だと勘違いするように…… https://t.co/4G8bRhFy6M
— 長 高弘 (@ChouIsamu) 2018年11月17日
これは相当重い問題で、オレ自身もスルー力(ちから)が落ちているのを感じる。異見やら嫌いなものに、耐えられなくなってると言うか。コラそこ、「もともとじゃねーか」とか言わない! ……言われても仕方ない事、してはいたけどな。話を戻して、ツイッターにブロックだのミュートだのがなければ、もっと弊害百出の修羅道が展開していたとも思うが……。また、(2ちゃんねるとかもそうだが)ツイッターも「捨て垢」で多数派工作は簡単に出来るし、ネットでの発言は極端な意見の持ち主が繰り返し行っていると言う調査結果もある。だから不快な意見が世の中の実数を反映しているとは考えにくいのも、この話をややこしくしている。と言うか、いろいろな判断材料があって、あっぷあっぷなのよオレは! 自分のスルー力の衰えは、これだけじゃなく他にも困った事を引き起こしているし。不快な意見が少数派のそれだと勘違いするのではなく、むしろ逆だ。自分が不快な意見の持ち主に、取り囲まれているんじゃないかと。そう言う自分を戒めるためにも、下記の画像をツイッターで貼った事もあったのに。
こう言う絵を描いておきながら、それでも「自分が不快な意見の持ち主に、取り囲まれているんじゃないか」と思うんだから、オレは度しがたい。トホホ。
それはさておき、さんざん言ってる事をシカトされて来たオレは、スルーすると言う事がどう言うものか分かっていたつもりだったが、上記の有り様では、それも自信がない……。だからこうして、ごちゃごちゃ書いていたのだが。