走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

過去を振り返るのもどうかと思うが

 まずは、カマヤン(id:kamayan)さんとこの過去記事をご覧いただきたい。

kamayan.hatenablog.com

 今はネットに残っていないオレの文章を引用してくれているんだが、そこは今見るとアラが目立つ。文法もそうだし、野球害毒論争について触れていても、横田順彌の著書から押川春浪を追いかけていたので、同じく野球害毒論争において野球を擁護した安部磯雄には一言も言及していないところとか。参考文献は挙げていたので、それらに目を通してくれた人が間違いをなんか訂正しに来るかと思ったが、それもなし。ええんかいな。

 当時この話を持ち出したのは、同時期に森昭雄の『ゲーム脳の恐怖』が話題になり、それに野球害毒論争の時の一番トンデモな野球害毒論との共通点を見出したからなんだが、どこまで浸透したかは不明。それにこう言う事は、森昭雄が出て来る前にもっと権威や発言力のある人やメディアが言ってくれていればよかったのだ。それをなんじゃい! これ以上は愚痴にしかならんから言わないし、大体森昭雄リオ五輪の閉会式で安倍首相がマリオのコスプレした時点で、面目玉を失ったではないか。森昭雄は『ゲーム脳の恐怖』で、ゲームショウに出て来たコスプレを見て慨嘆していた事を書いていたので。

 なんでこの話を蒸し返したのかと言うと、キズナアイの件がらみで野球害毒論争の時の野球非難を持ち出したツイートを見かけたもので。ただしそれにはRTもいいねもしていないが。

 ちなみに、オレが最初に野球害毒論争を知ったのは1989年の事。その頃宗教に引っかかっていたけど、「この野球害毒論は、ゲームへの非難と同じだな」と漠然と思っていた。くっそー、あの頃宗教に引っかからずベーマガゲーメストあたりにこの話を投稿していれば、バタフライエフェクトが起きてゲームマスコミの風向きも変わっていたかも知れんのに。……なんちう「たられば」だよ。しかし当時の選択ミスは、いまだに心のくびきになっているのだ。