走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

人間関係を広げるのに失敗した人生

 ハッキリ言って、思春期くらいから長い事、人間関係を広げるのをしくじり、今のつまらん人生に至ったのは否定出来ん。半世紀生きたは生きたが、顔が広いわけでもなければ、恋愛経験もない! なんて寂寞とした人生なんだ……。くおお。そりゃ人間関係を広げようにも様々な障害があったけど、これからの人生をひとりで生きる事になった代償として、オレにどんな幸せがあったのかを考えるとねえ。結論を言うと、何にもなかったよ? 「ひとり遊び」の楽しさは、孤立して生きる事と引き換えにしてまで得るものだったのかと、最近ずっと考えてて……。

 だからと言って、絵やマンガを描く事をあきらめていたら、ぼっちじゃない人生を得られたのかと言うと、そうとも思えない。絵描きマンガ家の妻帯者なんて珍しくもないし、夫婦そろってマンガ家と言うケースも少なくないぞ。う~う~、夫婦でドンピシャ! ……言ってる場合か。言ってる場合ですよ! あまりに孤立した人生が悲しくて、脈絡ない冗談でも言わんとやってられないのだ。話を戻して、前述のように人間関係を犠牲にしてまで「ひとり遊び」に耽る事はなかったと思うが、因果関係は逆で、孤立していたから「ひとり遊び」をやるしかなかったのではとも思う。それが孤立の代償足りえたのか、本当に「ひとり遊び」に耽っていた時幸せだったのか、実は「甘いレモン」*1だったんじゃないのかとか、考えはするけどね……。じゃあ、どうすればいいのか? それは全然分からん。年齢的にも経済的にも、ひとりで生きる以外の選択はないが「ひとり遊び」を続けられる余裕が、世の中に残っているのかと言う疑問(いや、恐怖)がある以上、余生はさみしいものだ……。こんちくしょー、こんちくしょー、コンビクトー! オレには何もなかった、いっその事、全てをあきらめて気に入らない奴と刺し違えようかしゃん……って、さみしすぎる結論じゃねえか! いくら世間に押し潰されたからって、捨て鉢にも程があるぞ……。

 こうまでいじけているのは、人生で人間関係を築き上げたり広げたりする事に失敗し、さりとて「ひとり遊び」すら信用してないからだ。この悲しみを訴えられる相手も、てんでいない(いても話すタイミングが合わない)からねえ……。このままでは、自殺か「バカげた大事件」を引き起こすかになってしまう! 「ひとり遊び」への信頼を取り戻し、耽って辛さを耐えるしかない。この先待ち受ける余生での孤立は、あまりにも強力な怪物だけどよ……。

*1:「すっぱいブドウ」の反対の定義で、自分の手にあるものをひたすら「良いもの」だと信じ込む事。