走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

やっぱりオレは川内康範にはなれない……

 うーむ、やっぱりオレは川内康範にはなれない。日本でヒーローを創作した人物は沢山いるが、彼ほど現実の社会問題や犯罪に対抗しようとした人は、まずいないもんな。犯罪うんぬんは、グリコ・森永事件の時「かい人21面相」を名乗る犯人に「金が欲しいなら俺の財産をくれてやるから、こんな事はもうやめろ!」と呼びかけた件ね。社会問題うんぬんは枚挙にいとまがないので省略するけど『レインボーマン』の背景に、黄禍論が現代(1970年代初期)の世界情勢にも影響を与えていると見て、ああ言う作品を作ったと言うのを知り、絶句したとは言っておく。レインボーマン第1話ではインドとパキスタンの戦争が絡んでいたし、こうまで国際情勢*1にコミットしてヒーローもの作ったって言うのも。あるいはオレらがあまりに社会を見てないのかも知れんが……。とは言え世の中「世のため人のため」と称して酷い事をする奴はいくらでもいるから、そこは注意せんといかん。川内に影響を与えた日蓮宗の「社会に飛び込んで、不正を正すスタイル」は、悪い方に向いたら顕正会になっちゃうし。これは「やらない言い訳」じゃなく、世の中が上手くいかないのは前述の「世のため人のため」と称して酷い事をする奴らのせいだと痛感して、そうならないようにしないとと言う警戒心じゃ。「世のため人のため」と称して酷い事をする奴らと言うのは「やまゆり園事件」の犯人とか、在特会*2とか……。いくらオレがチンケな人間でも、奴らレベルに落ちたくないわい。

 と、書いてて思ったが、オレは精神に障がいを背負った身だから、川内と我が身を比べたら、前者がウサイン・ボルトなみの陸上選手でオレは足を悪くして早く走れない者なんじゃないかと。それは薄々感づいていて、最初の「やっぱりオレは川内康範にはなれない」と言う考えに繋がるわけです。だからと言って、社会に無関心でいていい法もないが。だから悩んでいるんだよ……、くおお。社会に対する無関心が、必ずしも「社会に干渉しない」とイコールではないから、余計に。どう言う事かと言うと、ある社会問題の解決・改善を訴える者に「無意味」だの「社会に迷惑をかけるな」だの言って嫌がらせをしてくる連中は、社会問題に「無関心」ではあれ「不干渉」でいるわけではないとか、そう言う……。川内康範が見たら、怒り狂いそうな態度ではあるな。実際そう言う連中に呆れてか、川内は世間に対し沈黙しそうになったし。「無関心」が「不干渉」になるとは限らない事は、別の形で言及したかったが、今のオレの精神状態でキチンと説明出来る話じゃないので「こう言う事もある」と、ここで説明するに留める。さておきオレも社会問題に対し、無理のない範囲で取り組みたいんだけど、もうその案配が分からん。くおお。その意味でも、川内康範にはなれないと。

*1:これも充分、社会問題だ。

*2:最近は「日本第一党」とか言う政治ゴロに鞍替えしたようだが。