走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

機会を棒に振った事が、悔やまれてならなかったが

 いえね、最近になって絵やマンガのスキルが上がったのを思うと、過去に成長する機会を棒に振った事が悔やまれてならなかったが、成長するのは今がその時なのかも知れないと思い直す事にした。今のスキル向上に必要なリソースは、今しか用意出来ないし。

 とは言うものの、30年以上何をいちびっておったのじゃとはちょっぴり思う。いやいや、その時間も今に繋がるリソースと言う事で……。そうでも思わにゃ自分が潰れてしまう。しかし何も考えず、萎縮して絵やマンガを描いていたのも事実なんだよな。それは悔しい、応援される事も少なかったしなあ。それはいいとして、これから何を描くかですよ。人生の残り時間は日に日に減るし、いろいろあって「描く事」に注げるリソースも減っているから悩んでいるんだ。「描く事」に注げるリソースと言うのは、体力や可処分時間がまず来る。他にもありそうだが、今思いつかない。「やる気」と言うのもあるかも知れないが、可処分時間みたく具体的に定量化出来ないからなあ……。

 こんな記事書いてないで、絵やマンガを描けばいいかも知れん。しかしながら、モヤモヤしつつ描いてもいいものにならんし。「描く事」に理解のない連中に囲まれた思春期と、そこからしばらくのせいで、モヤモヤが出やすいのよ……。別に「描く事」に理解のない連中にこっちのしてる事を認めてもらいたいわけでもなければ、連中の価値観に沿って生きたいわけでもないが、あまりに流されすぎた時期も悔やまれて。あまり言うと、オレがやり場のない怒りに狂いそうだから適当なところで切り上げるけど、絵やマンガで身を立て、親父が生きてるうちに札束をその顔に叩きつけてやりたかったとは言っておく。家族の事を言い出すと、しまいには泣きわめきたくなるけどな。それくらいモヤモヤはしていたのである。……やっぱり、後悔してるより描いた方がいいや。後悔は過去の自分にいらん重荷を背負わせるだけだ、ちくしょう。