こんなツイートを見た。
コミュニケーション能力によってスクールカーストが決まると考えられがちだが、実際はカーストの上にいる奴だけが意見を押し通すことを許容されていて、それを人々がコミュ力と錯覚してきただけ…という恐ろしい話が出てきた。じゃあコミュ力って一体なんなんだ。単にその場のノリに適応できる力なのか
— どう即 (@madanaizo) 2022年9月22日
いや、薄々感づいてはいたし、実際企業が求めるコミュニケーション能力なんてのも「ウチの会社のノリに合わせられる力」以上のもんではないんだろう(しかし、なら堂々とそう言えばいいのに)。
— どう即 (@madanaizo) 2022年9月22日
なんか逆に本当のコミニケーション能力がどういうもんなのか、知りたくなってきたよ。
>出てきた
— どう即 (@madanaizo) 2022年9月22日
『哲学の門前』という本の話です。
スクールカーストに限らず、どこでも「いばる順番」が上の者の意見が押し通されがちと言うのは、ありそう。そうなると、何か意見を批判した時「自分の意見を言って、何が悪い」と言いながら黙らせて来る連中への怖さや嫌悪感の正体もそこら辺にありそうで。「自分の意見を言って、何が悪い」で守られる意見は「いばる順番」が上の者が言った事か、そいつが気に入った事だもんな……。泣けるぜ。あまりに泣けて、話が進まん。ただ言えるのは、オレに「ノリが悪い」と言っていた亡き友「惟任さん」は、この事に気付いたらどう言う顔をしたろうかと。あの人も「いばる順番」が上の者に弱いところあったもんな……。死者に鞭打つにも程があるから、詳述しないけどよ。
と言うわけで、この話強引に終わる。気が向いたら、仕切り直すかも知れんけど。