途中まで書いていた記事の内容が急につまらなく感じられて、消して別の話をしようとしたが、題名のごとく頭が働かんので上手くいかない。仕方ない、この話でもするか。
むかし、藤子FのSF短編に出てきた台詞「自分は他人のはじまり」にショックを受けたのに『パタリロ!』で過去のパタリロが未来の自分に言った「未来のぼくなんて、他人も同然だ」にはそうでなかったのは何故だ。パタリロの身勝手さを表す台詞だったからだろうな。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年6月12日
似たような事を言っていても、話者が誰かなどで受け取り方は変わるって事だ。だからオレは「ああ言うな、これを描くな」ではどうにもならない事があると。やっぱり今の状況、決してよくないよ……って、表現規制に言及したくなかったのに、してしまった。オレがしたくなかったのは、いくらブログで言っても話が広がらんかったからだが。ツイッターで言っても、それは似たようなもんだったし。「話が広がるって、なによ」と閲覧者に言われそうなんで言っておこう。多くの人と意見交換出来て、建設的な方向に行く事だよ。かつては「話が紛糾したって、それはそれでいいんです。その過程から、閲覧者がくみ取るものがあればね」とも考えていたが、今はそうも言ってられん。あちこちの紛糾を見て、げんなりするしかなかったからな。
「多くの人と意見交換出来て、建設的な方向に行く事」を期待出来るほど、オレの話に説得力がなかったのかと思った時期もあったが、あきらめる前にもう少しあがいてやろう。と言うところで、この記事終わり。