こんなツイートを見つけた。
マンガによるじぶんの意見の表現というのは危険なんです。意見の相容れない相手を「醜く」描ける、という、文章や言葉にはないビジュアル表現ができますから。よくよく気を付けないとゴー宣になってしまう…。そうならないものを描く自信が僕にはない…。信条をマンガで描くのには、反対なんです。
— 中村博文 (@dozinchi2) 2022年4月25日
これに対し、オレはこんなエアリプをした。
RT言及。そこは「悪い見本」をどうマンガにするかと言う問題と繋がってそうで、頭痛い……。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2022年4月25日
要は意見の相容れない相手を「醜く」描く事と、マンガで「悪い見本」を描く事はセットになってるんじゃないかと……。あるいは、コインの裏表。それを思うと、中村博文氏の意見にどこまで首肯すればいいのか。実在する相手を悪く描くなだと、ルポルタージュ的なマンガが一切成立しないし……。それで菊池真理子さんの災難を思い出したが、あの件を言い出すと結局、不愉快にしかならず……。話を戻すと中村氏は個人として気を付けているだけなんだろうが、前述のいろいろを思うと、引っかかるものがあって。オレは「サヨクのキチガイ」だから、中村氏が引き合いに出したゴー宣*1が、さんざん左派を「悪い見本」として描いた事に対しハラワタ煮えくり返る思いはしている。だからと言って、右翼をおちょくる「論説」マンガを描くつもりはない。オレは小林よしのりにも、山野車輪にもなりたくねえんだ。右翼をおちょくるストーリーマンガのネームは切って、執筆の時間取れそうにないからpixivのネームコンテストに出したけどな。今のところ炎上はしてないけど、この先どうなりますことやら……。
オレのネームについては置いといて、話をマンガにおける「悪い見本」の表現に戻す。意見の表明に限らず「悪い見本」を描く時は、悪く描かねばならんのではないか。その意味でオレは、信条うんぬんを「全く」抜きにして「悪い見本」を描く事は出来ん気はする。自分の考えを「全く」抜きにした表現の描写は、あり得ないと思ってるからな。中村氏のツイートが気になるのは、作家が己れの倫理観や価値観をまるで抜きにして、作品は描けるのか? それをやったら、たいそう味気ない作品になりやしないか? と思うからである。さりとて、中村氏の意見をまるっきり否定は出来ない。繰り返すが、小林よしのりや山野車輪などのやらかしを思えば、傾聴しとかんと。
……これで粗方オレの思うところは書いたが、イマイチスッキリはしない。オレはどうしたいのか? と言う、重い問いかけが生まれたからな。別に論説マンガを描きたいわけじゃないが、ストーリーマンガにおける「悪い見本」を否定したいわけでもなし……。うーむ。
*1:に、限った話でもないけど……。